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あえて苦手分野で生きるということ

いわゆる「アカデミック」と言われる学者の仕事には、おもに3つの業務があります。

まずは、大学の教壇に立ち講義を行う(teaching)、そして、学術研究をおこなう(research)、これに加えて、アドミニストレーション(またはサービス) と呼ばれる、学科や学部を管理・運営するための事務的業務です。

アドミあるいはサービスといわれる業務には、学内の研究倫理会のメンバーとして会議に出席したり、入学者選抜過程の管理にたずさわったり、各プログラムの科目長を務めたり、とさまざまです。(これらの役割を端的にさす日本語があるような気がしますがあいにく知りません)

この research, teaching, admin/service という3つの配分は大学によって千差万別です。

私の勤める大学は、世界ランキングでそこそこ上位につけている研究大学なのですが、研究(リサーチ)に割りふられている時間は「就業時間のざっくり60%程度」となっています。

しかしながら、これは単なる目安に過ぎません。そもそも学者には厳密な拘束時間がないので測れません。なので、ほとんどの教員は、講義とそれに関連した事務処理(サービス)をこなしつつ、それ以外はのべつまくなしに研究作業している、というのが実情です。

ある意味、「24時間戦えますか」の時代錯誤な業界であり、勉強が好きでなければできない仕事です。

これができない(研究成果があがらない)教員はどんどん脱落してゆくので、はっきりいって英語圏の大学というのは、それもう死屍累々の厳しい世界です。

当然のことながら、外国人がこういう環境で生き残るためにネックとなってくるのは言葉の問題です。(それだけじゃないですが)

私の研究分野は、日本語とも日本文化ともまったく関係がありません。日本人であることのメリットはゼロです。うちの学部は200人以上の研究者を抱え、当大学内でも最大の学部ですが、私以外に日本人はいません。

じゃあ、なぜあえてそんな不利な立場で、学術職を異国の地で続けるのか。答えは簡単。やりがいがあるからです。

この道で生きようと思えるまでに時間がかかった

私はもともとは民間企業で総合職として働いていて、最初から学者志望であったわけではありません。

また、私が博士号を取得した分野は、私が日本で取った学士号とはまったく違う分野です。修士号の分野ともサブ・クラスターが異なっています。

私がイギリスで博士課程を始めた時、最初のミーティングで指導教官の教授から「博士号を取得したあかつきには何を仕事にしたいのか」と聞かれました。教授の出した選択肢は、

  1. 専門研究機関の研究者になる(大学ではなく研究だけする機関です。当然、講義で教えなくていい)

  2. 国際機関に勤務する

  3. 大学で学者として研究・教育にあたる

そのとき私は、「1 か 2。3は絶対いやです」と即答しました。3の道で長年にわたって学問を究めてきた教授によくもそんな返事をしれっと言えたものですが、そういう性格なので仕方ありません。

でも、博士課程で自分の研究を進めるうちに、学際的研究(いくつか異なる学問分野にまたがった研究)に興味を持ち、その一方で、その頃に出会った国際機関で働く日本人職員達の、あまりの英語の下手さにあきれ果てて、「選択肢 2」は却下しました。

大学に勤務してそこで学者としてやっていこう、と私が腹をすえたのは、大学で教え始めてから実に7年ほどした後でした。それまで何度やめようと思ったか知れません。

もちこたえられたのは、やはりなんだかんだ言っても研究教育にやりがいを感じるのと、この国が好きだからだと思います。

自分の専門分野でも毎日が勉強

とはいえ、私は英語がとりわけ上手いというわけではありません。

まぁ、管理・運営業務なんかは、組織のしくみさえわかれば、あとはコミュニケーションだけなので普通の英語力でこなせます。私の場合、大きな企業で働いた経験があるおかげで、こうした業務はわりと簡単にこなせます。

ですが、問題は、Research と Teaching です。
英語の学術誌に研究論文を定期的に発表し、英語が母国語の学生相手(私が教えている一番大きい講座だと200人くらい)に、数時間ぶっとおしで英語で講義をするわけです。英語力だけでなく、かなりの図太さが必要です。

学術誌に論文を掲載するには「査読 (review)」という難関を突破しないといけないのですが、このレビューアー(Reviewer) というのが、論文の弱点をこれでもか、と突いてきます。私がレビューアーの役目を務める時も同じようにするので文句は言えませんが。

その一方で、大学での教育(講義)について言うと、期末ごとに、全教員と講座が学生から評価されます。

この、アカデミックの主たる二つの業務でのプレッシャーに耐えきれず、やめていく学者も多いです。

行き先としては、研究がしたい人は「民間の研究職につく」、教えるのが好きな人は「大学のレベルを落として、下位の大学(教育中心の大学)に移る」、あるいは、まったく違う仕事に就く人もいます。海外出身の研究者だと、自国に帰る人も多いです。

引き返す道は捨てた

私は日本国籍を放棄したので、自国に帰るという選択肢はありません。というか、その逃げ道を自ら断つためにイギリス国籍を取得したともいえます。

日本人が英語圏で学術職につくということは、自分の専門分野を究めることに加えて、自分の英語力を維持向上し続ける必要があります。これはたぶん他の仕事でも同様でしょう。

職務と英語のどちらか一方にでも、こうした努力をするのが負担だと感じる間は、やりがいを見出すのは難しいと思います。(私の場合は、最初は両方とも苦痛でした)

ですが、前にも書いた通り、続けていくうちに考えが変わることもあります。能力も向上します。

自分の不充分さゆえのストレスを乗り越えるには、それに向き合って、ひとつずつ片付けていくしかありません。それには自己啓発・自己改善が必要かもしれないし、あるいは、弱点は弱点だと受けとめて、上手くつきあっていく、ということもあるでしょう。

苦手分野であえて続けることのメリットは、一つハードルを超えたら次のハードルがあって、たえずチャレンジする力がつくことです。そして、たとえ小さいハードルでも、それを乗り越えた時には、そのたびに達成感が得られます。

これはどんな仕事でもおそらく同じだと思うのですが、煩わしいことも多々あるけれど、総合的に考えると「それでも続けたい」、と思える仕事が天職なのではないでしょうか。

人と比べたり収入を気にしたりするよりも、「自分なりにやり遂げた、自分が成長した、一歩前進した」、と感じられることが、職業人としての成功だろうと思います。