トルストイからの呼びかけ『復活』

トルストイの著書『復活』が書かれた経緯

1887年6月
トルストイの友人の裁判官のA・F・コーニがトルストイの元を訪れた。
そして、ペテンブルク管区裁判所の検事をしていた時に見聞きした興味深いエピソードを話して聞かせた。

そのエピソードとは…

フィンランド湾にのぞむある貸別荘に、妻を亡くしたフィンランド人が娘のロザーリアと共に暮らしていた。やがてそのフィンランド人が死んで、娘は別荘の持ち主である裕福な婦人に引きとられた。はじめは養女のように大事に育てられたが、しだいに冷たく扱われるようになり、ついには女中部屋へ追いたてられて、彼女はそこんで十六歳を迎えた。ちょうどそのとき、女主人の親戚に当る大学を出たての青年が遊びにきて、ロザーリアに目をつけ、誘惑した。女主人はロザーリアが妊娠したことを知ると、怒って家から追い出してしまった。青年からも棄てられたロザーリアは赤ちゃんを生むと、自分は最も低級な娼婦に身を落とした。

『復活』解説より


解説には、また、このような内容のことが書かれている。

明治以来、ロシア文学が「日本でこれほど読まれてきた」だけでなく、『復活』ほど一般大衆に広く親しまれてきた作品も少ないだろう、と。

この作品は恋物語を取り巻く世俗的な権威(裁判所、元老院、官庁、刑務所等々)の仮面をはぎとり、その偽善性を容赦なく摘発し、一種の文明批評書になっている。


下巻の最後には、このように書かれている。

そうだ、これがおれの一生の仕事だ。一つが終わったと思ったら、さっそく次がはじまったのだ。

まったく新しい生活がはじまった。それは彼が新しい生活環境のなかへ入ったということよりも、むしろそのときから彼の身に生れたいっさいのことが、これまでとはまったくべつな意義をおびてきたからであった。彼の生涯におけるこの新しい時期がどのような結末を告げるかは、未来が示してくれるであろう。

『復活』下巻



ゼレンスキー大統領の目に、原爆で亡くなったり被爆した人達が「自分と同じ人間」として映ったかどうか…言葉から読み取ることができないゆえに…ブラジルのルーラ大統領の言葉が届いてほしい。

国連の場で」