山本周五郎が著著『おごそかな渇き』に描いた「宗教観」と「ブラウン運動」と「人間への問い」


山本周五郎さんの『おごそかな渇き』は、昭和42年1月から2月の8週、朝日新聞日曜版にて掲載された。
「半途にしてたおれることが多年の念願でもあったらしい」と、解説には書かれている。

『おごそかな渇き』に描かれているのは、人間と宗教。

これを、植物学者ブラウンが発見した「ブラウン運動」として捉えているところが興味深い。

ロバート・ブラウンは、1773年12月21日にイギリスのスコットランドで生まれた植物学者です。彼は細胞核を発見し、オーストラリア産の多くの植物を分類・命名しました。また、1811年に王立協会フェローに選出され、1839年に同協会からコプリ・メダルを受賞しました。彼は1827年に水面上に浮かべた花粉が破裂して中から出てきた微粒子が不規則に動くことを発見し、今でもこの運動はブラウン運動と呼ばれています。

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どんなばかげたことのようにみえても、それは現にあるものだし、現にあるということは、そこになにか意味があるにちがいない。

新潮文庫『おごそかな渇き』P.429




憎悪や敵意もそのままではなんの価値もないが、互いに対抗するとき、そこになにかが生まれるのではないか。

『おごそかな渇き』


この小説に登場するのは、福井県のある村で、宗教の盛んな土地。
この村に住む人達には、歴史的に根深い反目と敵意が続いていた。特に冠婚葬祭に関しては、相互の往来や交渉にまで影響していたようだ。

それが真言宗の家系と、一向宗の家系、そして隠れキリシタン。

➀   真言宗…弘法大師
②   一向宗…道元禅師
③   聖書…マリアさま

話題は「水」

宗旨の違いは「真言宗は真言宗、一向宗は一向宗」であり、それは「大根は大根、人参は人参(ニンジン)」という違いであり、無宗旨では見分けがつかない、ということだという。

その話の延長にあるのが

➀   竹中 啓吉
②   村田医師
③   りつ子 (竹中の娘)

話題は「女の子の性的な成長」


あの林の木々は、それぞれうたったり、嘆いたり、訴えたりしている。
一つとして同じ嘆きや唄や悲しみはない。
みんなそれぞれ違った個性をもっている。
しかし、それはほかの木には理解されることがない。
どんなよろこびも、どんな悲しみの訴えも、すぐ隣の木にさえわからないだろう。
それが何十年も何百年も続くのだ。

『おごそかな渇き』



*成長を加速させる近道*
どんな立場にいようとも「他人事」ではなく、「我が事」として物事を捉える習慣をつける。社会で起きる出来事を受け身で捉えるのではなく、自分の頭で深く考える。この積み重ねが「戦略力」を鍛える。

樋口泰行著『変人力』