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余白を取り戻すこと

人生はゆっくりと味わい、存分に体験するためのものです。
緩やかに人生を愉しむためのゆとり、すなわち『余白』は美しい贈り物です。
より多くの余白を作ると、より自分を尊重し、優しく扱えるようになります。
誰にでも余白を手にし、余白を謳歌する権利があります。
あなたの人生なのですから...。


その日のことはよく覚えています。

私は正社員として働いていました。
会議がはじまる前に、会議室で、一人、準備を整えていました。
資料の刷り漏れがないかを確認し、机と椅子を並べ、マイクとプロジェクターをセットし、という作業です。

私の部署では、ずいぶん前から人手が足りず、業務が追いついていませんでした。
忙しいけれど、職場の先輩にはお世話になっているので、ベストを尽くすようにしていました。
正直に言って、無理をしながら働いていました。
「来月からこれもお願い!」と言われる度に、その言葉は耳にこびりついて、スーツで犇めいた帰りの電車に木霊しました。

目の前の紙の白さに目を奪われながら、私は「もうダメだ」と思いました。
私の心は死んでいて、もうどの仕事にも意志が向かっていきませんでした。

思い起こすと、この数週間、栄養のある食事を自分で作ったことがありません。
体力が残っていません。
疲れ切っていました。
空っぽのまま走っていたのです。
完全に終わっていました。

この頃、頻繁に感じていたのは、何か得体のしれない叫びが、ボールのようになって喉につっかえているような感覚です。
自分が何をすべきか理解したとき、目には涙があふれ、そのボールが私の喉から堰を切ったように飛び出しました。
誰もいない会議室を切り裂いた悲鳴が、瞬間、私の声だと気づきました。

その翌朝、私は上司にメールを書いて、しばらく休ませてほしい旨を申し出ました。

頭がおかしくなりそうで、
もう限界だと思う。
何かが私に止めろと言っている。
このような圧倒的な絶望感、すべてを止めてくれという叫びを感じたのは、これが初めてではありませんでした。

しかし、この5年間のキャリアの中で、実際に立ち上がって何かをしたのは初めてのことでした。
私はしばらく休み、決心をしました。
正社員を辞め、兼ねてから挑戦してみたかったシステムを開発する仕事に飛び込むことにししました。

丁寧に教えてくれた職場の先輩には申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、笑顔で送り出してくれました。
仕事を辞めて、2週間ほど実家に戻って、ずいぶんと久しぶりに余白と出会うことができました。

余白。

その美しい言葉は私にとって神聖なものになりました。
余白は人生に予め組み込まれたものではないことを学びました。
毎日、私たちはそのために戦わなければならないのです。
絶えず、すべての日に、あらゆる一日、一日に。
気心の知れた同僚も、あなたに代わって戦ってくれません。
他の誰も、産業医でさえ、あなたに代わって戦ってはくれないでしょう。
自分で腕を広げて、あなたと仕事との間に境界線を置かなければならないのです。
それは自分に優しくするための練習です。
それは心穏やかに、ゆっくりと、与えられた1時間1時間を完全に生きるための練習です。

余白を取り戻す。

私が人生の余白を取り戻す中で学んだ3つのことを紹介します。

1.余白とは反抗である

私が余白を愛するのは、それを得るために声を発するとき、中指を立てることになるからです。
期待されていること。
「来月からこれもお願い!」と言われたタスクを、付き返すことなんてできません。
期待通りに仕事をこなさなければ、職場では怠け者ということになります。

あらゆる機会に「YES!」と言うことが期待されているのです。
しかし、いつか「NO!」と言えば、どんな気持ちになるかわかりますか?
反抗です。
力強さ。
それはまるで人生のような気がします。

2.余白とは自由である

私にとっての余白とは、「よし、今から自分の好きなことをするぞ!」という腹の底から嬉しくなる時間です。
自分本位にプロジェクトの締め切りを断ったりするわけではありませんが、自分のしたいことを存分に愉しむための余白を意図的に確保しています。

自分自身の指揮を自分で執ることができるとき、心と魂を生き生きとさせる活動で、自由にその余白を埋めることになります。
例えば、書いたり、読書したり、瞑想したり、音楽を聴いたり、料理を味わったり。

それから、、

自分で朝食を作る。
ヨガ教室に通う。
好きな曲を集めたプレイリストを聴きながらランニングをする。
シャワーを2分余計に浴びて、心地よさと安らぎを感じる。

それに、たまにソファーに横になってNetflixを「プリズン・ブレイク」を3話(または5話)一気に見てしまうことがないとは言ったら嘘になります。

余白を作ることが習慣になりつつある今、以前なら見逃していたような小さな出来事に感謝できるようになったことに気づきました。

時には、自然の中で美しいものに気づくこともあります。
時には、公園の遊歩道ですれ違った人に微笑むことができるほど、楽しんでいます。
友達のためにお菓子を買って届けようという、ふとした思いつきから行動に移すこともあります。

洗濯をセルフケアのように感じることもあります。
洗って、ベランダで干して、ふかふかのシーツで寝る。
以前のように、「あぁ洗濯物が溜まってる」というストレスが重いまぶたの上に乗ることはありません。

時間がないとき、仕事の山の中を生きていて、疑問を抱くことはありませんでした。
しかし、行動を起こさないといけないと決意し、闘争し、余白を生み出しました。
余白と一緒に生活することで、自由と選択の世界を開き、毎日の小さな瞬間に驚きと喜びを感じる機会を得ました。

3.余白とは自尊心である

余白は美しい贈り物です。
より多くの余白を作ると、より自分を尊重し、優しく扱えるようになります。

誰にでも余白を手にし、余白を謳歌する権利があります。
そう信じていますか?
あなたの人生です。
あなたには余白がふさわしいのです。

だから、自分の余白を取り戻しましょう。
それがあなたにとってどのような時間であっても、余白のために戦いましょう。
それを守り、それを維持して、貴重な人生を味わい尽くしましょう。
ゆっくりしてください。
あなたの人生は、それにかかっているのです。

最後までお読みいただきありがとうございました🙏
ブログも書いているので、よかったら覗いてみてください♪


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