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"大人になったな"と思った話

成人歴6ヶ月の私が
自分、少し大人になったなと思った話。

ここ数年はテレビよりもYouTubeをよく見ていたのだが、コロナ禍の自粛期間以降テレビドラマをよく見るようになった。
もともと人の「演技」を見ることが好きなので、近頃見ていなかった反動からか、狂ったように、放送されているほぼ全てのドラマを見始めた。
コロナ禍で家族も家にいることが増え、母も気に入った作品は一緒に見るようになった。

これは昔からのことなのだが、母の好みではない作品をテレビで見ていると
母は横から
「そのドラマの何が面白いの?」
「そのドラマ1話だけ見たけど、つまらないよね」
などと言ってくる。

母は私とは真逆で自分の意見をはっきりと人に伝えられるタイプだ。
なおさら家族であれば、建前や遠慮なく自分の思ったことを伝えて悪いことはないだろう。

しかし、そのようなことを言われるたびに私は
「これは大人は好きにならないような子供じみた作品で、私は未熟な子供だから好きになってしまうんだ」
と思っていた。

自分が好きな作品を好きだということは
人生経験や見たドラマの本数が少なく、未熟であることをひけらかす、恥ずかしいことなんだと無意識に思っていて、それをしなくていいように早く大人になりたいとずっと思ってきた。


これはドラマに限らず、本や音楽、ファッションやプロダクトの選択に至っても同様であった。
反抗期はしっかりとあったし、素直で従順な娘でもなかったため、親からの意見を全て受け入れることはなかったが、親から指摘されるたびに、自分の選択に自信を無くしていた。


でも本当にたくさんのドラマを見るようになって
それぞれのドラマに好きなところや、好きになれないところを発見できるようになった。また、
役者、演技、脚本、演出、映像、音楽。
いろんな分野が重なってできているものを
"ドラマ"として全否定も全肯定も出来ないなと感じるようになった。

これはどの分野でも言えることであると思っていて。
たくさんの作品を見た結果、

"ある程度のクオリティを超えた作品を比較する基準は、もう好みしかない"

という結論に至った。
この結論に至ったとき、心が軽くなる感覚があった。
それは、

母と私の好みの差は

"大人と子供の差"ではなく"人と人"の差

なんだと気づいたのだ。


他の人からしたら
「何当たり前のことを言ってるの?」
となるのかもしれない。
しかし私にとっては20歳になる直前まで気づかなかった、革命級の発見だった。

一人っ子なために家には自分以外に子供がいない、そんな環境で育ったせいなのかもしれない。

母の意見=大人の意見
私の意見=子供の意見

という式が当然のように頭の中に刷り込まれていた。
これは親から言われたわけでもなく、自分で考え出したわけでもなく、本当に無意識にあるものなのだ。
この式の呪縛から離れた今、気づけることである。

どれくらいの人が私と同じ考えで生活を送っているのかはわからないけれど。
今もきっと、この式に無意識に囚われて生きている人がどこかにいると思う。
私に影響力はないし、この文章がその人たちに届く可能性はほとんどないかもしれないけれど、
ほんの少しの可能性を信じて、ここに認めておく。


この事実に気づいてからは、どんなに人から否定されても
自分の好きなものを好きだと言うことや
その作品を好きでいることは恥ずかしくないと
思えるようになった。
それだけで、少し自分に自信が持てるし
いろんな作品に触れる日々も楽しくなる。

19年間の思考の習慣はなかなか外れなくて、
未だに自分の良いと思ったものをSNSでたくさん発信したり、人に勧めたりするのは苦手だ。
でも、少しづつ。
自分の意思を発信できる人に、なれるような気がする。

これが私の
少し大人になったな、と思った話。



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