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わたしの他人との付き合い方

最近、恋人とお別れしました。
3年ほど前にすごく好きだった恋人とお別れした後、そろそろ恋愛でも再開するかぁ〜と思ってからできた恋人でした。

流行りのアプリで知り合い、3回デートをして交際が始まりました。
見た目がタイプでしたか?と問われれば、いいえ、全く。と答えるでしょうが、近頃は、いい加減大人になったんだし、人を見た目で判断したくないという自分がいます。告白を承諾したのは、当時一緒にいるのが、なんとなく苦痛ではなかったというのが決め手でした。趣味趣向は全くと言っていいほど合わず、考え方も違う。関係を続けていくうちに“他人との関わり方”が決定的に違うとも気付いていました。

彼はとにかくドライで、「会社で自分のプライベートな話をすることもない。もしも仕事を辞めるようなことがあれば、今の職場の人の連絡先は全てブロックする」と言っていました。
一緒にいる時も、彼の思考に触れることはほとんどなかったし、会っていない期間に起こった出来事でわたしに話したいこともないようでした。なんとなく、心の距離がある気がして寂しいという気持ちはありましたが、関係が上手くいかなかったのは、わたしの彼への関わり方に問題があったようです。

わたしの他人との関わり方は、恋人とそれ以外で大きく違います。
恋人に対しては、自分を好きになってほしいがゆえに、相手に好かれるよう異常に気を遣った振る舞いをしてしまいます。自分の意見を言葉にするより先に、こう言ったら面倒臭いと思うだろうな。いやだろうな。と考えて口に出したり、行動に移したりすることを躊躇してしまうのです。
「相手の嫌がることをしてはいけません」を強烈に実践してしまうのです。

・わがまま言わない
・文句言わない
・相手の嫌がることを回避する

この三原則を厳守した時に出来上がるのは、愛される彼女ではなく、
“都合のいい女”です。わたしはこれを理解しているのに幾度となく繰り返しています。
今回に関しては、わたしが自己主張せず、相手に合わせすぎたせいで、
「なんでも許してくれるから自分がどんどん我儘になっていく気がして嫌だ」と言われお別れすることになりましたが、過去にも少なからずそう思われてきたのではないかと反省します。

一方、社内での振る舞いはというと、できる限りいろんな人と交流し、プライベートな話もするし、真剣な話もする。おそらく、かなり人間らしい奴だなと思われていたと思います。現在その職場は退社しましたが、辞めた今も当時の同僚とは交流があります。同僚に限ったことではなく、当時のお客さんとの交流もあります。こういう関係を築くことができたのは、今noteを書いているわたしが思うに、自分を取り繕ったりせず、全身全霊のわたしで人と関わってきたからではないかと思っています。
standFMの配信でも、わたしはありのままの自分で話しています。特に自分一人の配信の時「人間らしくて面白い」と言っていただけるのは、自分の感情に素直に、ありのままを話しているのが理由なのかなと思います。

友人に対しても会社の人と同様に、ありのままのわたしで関わっています。嫌なことは嫌だと言うし、意見が食い違った時はとことん話し合います。
恋人以外の他人とは、こんな風に人間関係を構築して来たけれど、若い頃は、間違ったことが許せない上に、はっきりと物を言ってしまう性格のお陰で、多くの人に嫌われて来た自覚もあります。
(近頃は、性格はそのままで、言葉を選びすぎてしまうところもあるような気がしますが。)

先日、相方に「わたしの変なところってどこだろう」と尋ねたら、「通常の人が自分を守るために持っている防御力を持っていないところ」と、返ってきました。この場合の、防御力というのは主に、他人に対しての期待が想定外に裏切られた時の「仕方ない」「他人は他人」と諦めて処理する能力のことのようです。そう言われると、確かに彼女はその盾を自分の装備に加えてしっかりと構えていて、自分の気持ちを守ることができます。彼女のそういう部分を、わたしは昔から本当に尊敬しています。

自分で言うのも憚られますが、わたしは情に熱く、関わりの深い人に対して感情移入しすぎたり、相手のことを想いすぎたりするせいで、今までの人生は、必要以上に傷ついてきたような気もします。
そういう性質は今も健在です。
ただ、年齢を追うごとに学びも増え「他人は他人であり、自分とは違う」「他人のことを理解することなど不可能」と、理解できるようになりました。理解できるようになったので、現在はわたしも、自分の装備として盾を持っています。持ってはいるけれど、上手く使えていません。年々パワーアップするその丈夫な盾を手に持ってバンザイしたまま「痛い痛い」と叫んでいるようなものです。ボディがガラ空きですよね。想像するとだいぶ滑稽です。

今、自分の周りにいる友人たちは、ありのままのわたしを受け入れてくれた人たちだと理解していますが、受け入れられずに離れていった人たちのことは、どうしても記憶の中に残っています。脳内が1LDKだとしたら、リビングダイニングとキッチンあたりに住んでいます。ほぼ家主です。

その家主は、わたしに恋人ができた時に「ありのままのわたしを好きなわけがないよ」と囁いてきます。そのため、恋人への関わり方が前述の通りになってしまうわけです。

ここまで書いてきて、自分のことを本当に難儀な性格だなあと思いました。
また、ここまで自分で理解していてどうしてうまく人と関わることができないのかと自分で自分が嫌になります。
同じような悩みを抱えている人がいたら、少しずつ這ってでもいい、後ろ向きでもいいから一緒に進みましょう。
そして、「なんだこいつは」と思った人は、不思議な生物でも観察するかのように、またnoteを覗いていただけると嬉しいです。
また、有識者の方がいた場合は、この迷路の抜け出し方を早急に教えなさい。

よろしくお願いします。

ありがとうございました。ました〜!




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