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出世よりも出家したい。

社会人になったばかりの頃は人並みに出世欲というものがあったが、いつの間にか出世したいとは思わなくなった。仕事をしていて一番楽しいのは現場だ。管理職になると現場から離れ、事務仕事が多くなり、人のマネジメントに時間を取られ、自分のやりたい事に避ける時間が減っていく。もちろん管理職にも面白さはある。発言権が高まるし、自分がした提案を実現させることができるので、それなりのポジションにはついたほうがやりたい事はできるのだが、あまり出世しすぎると動きづらくなる。課長あたりがバランスが取れてるかもしれない。それ以上のポジション、例えば取締役や社長などになると、責任が大きいため、雁字搦めになってしまう。大金をもらえるとしてもあまり出世したくない。とはいえ、個人の希望が全て通るわけはなく、年齢を重ねれば自然と現場から離れてしまうので、それに伴い仕事への熱量が下がっていく人も多いのではないだろうか。

私もその例にもれず、今の仕事はそれなりに楽しいのだが、以前ほどの熱量はなくなってしまった。それでは何がしたいのかというと、最近は仕事に使っていた自分のリソースを日々を楽しく生きることに使いたいと思うようになってきた。そのための一つのアプローチとして個人的に関心が高いのが仏教である。その思想は奥深く、まだまだ深いところまで理解できていないが、私なりにまとめると、苦しみから逃れ、安らかに生きるためには心を鍛えよというのが、仏教の教えだと解釈している。

苦しみから逃れるために神に祈るのではなく、自分と対話し、心を鍛える。宗教というよりは哲学のように思えるし、仏教の考え方を知れば知るほど面白い。超自然的な存在として神をあがめ、思考停止で盲目的に神の教えを信じることを強制される宗教には嫌悪感しかないが、自分の心を鍛えて作り上げた価値観や規範を追求していくという考え方には共感する。

私にとっての価値観や規範は何かと考えてみると、ひとことで言えば生き様がカッコいいかどうか、という基準だ。ゴミをポイ捨てしたり、電車の中で席をゆずらなかったり、マウントをとったり、グチを言うのはカッコ悪い。細かいことを気にしたり、他人を妬んだり、金にせこいのもカッコ悪い。こうしたカッコ悪さを排除していけば自分にとってカッコいい生き方になっていく。出家して仏門に入るのはハードルが高いが、このカッコよく生きるという自分の価値観を追求していくことは出来そうだ。

悟りを啓いて仏陀にはなれないだろうが、出世するよりも豊かな人生を過ごせる気がする。



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