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人生に意味はない。

誰もが通る道だと思うが、10代のころ、人生の意味について悩む時期があった。人は必ず死ぬ、そうであれば、生きることに何の意味があるのか、その答えを得るために本を読み漁り、考え抜いた。死ぬことが怖くてしかたなかった。10代で出した結論としては、自分が死んでも他人の記憶に残ることで生きた証が残る、世の中に忘れ去られなければ意味があったと言えるのではないか。偉人のようにいつまでも記憶に残るようなことを成し遂げることを人生の目標にしようというものだった。

若さゆえの考えとも思えるが、これはこれで素晴らしい結論だ。だが、世の中のほとんどの人間がそうであるように、死んだあとも記憶に残るような大仕事はこれまでやらなかったし、残りの人生でもやれそうにない。他人の記憶に残ることだけを目指すのであれば、何か大きな犯罪をおかしてみればいいかもしれないが、特にしたいとも思えないし、大きな犯罪というのも素人が簡単にできるものではないだろう。そうなると、10代のころの結論から言えば、私の人生に意味がないということになってしまう。それでは困ると、子どもを残すことや、社会に貢献することに人生の意味を見出す人もいるだろうが、私には子どもはおらず、多少社会に役立つことをしている自負はあるものの、だからといってそれが人生の意味というほど大げさなものではない。

だが、50歳を手前にした今、ふと気づいてみると、人生の意味について全く悩んでいない。なぜ悩まなくなったのか理由を考えると、それは人生に意味を求めなくなったからだと思う。人生の意味について悩むのは、人生に意味があると思いたいからだ。しかし、どんなに意味があると思いたくても、人類という種の繁栄が未来永劫続くとは思えないし、仮に続いたとしても50億年後には地球が寿命を迎える、さらに未来には宇宙が寿命を迎える可能性もある。いつかは全てが無になってしまうのであれば、どんな理由をつけようが人生に意味などないという結論にしかならない。これだけ聞くと希望も何もないと感じるだろうが、私はネガティブにとらえていない。意味はなくとも価値はある。

人生に意味がないと思ってしまえは気持ちが非常に楽になる。意味を求めるのではなく、自分が好きな生き方、納得できる生き方を追求するだけでいいからだ。私は妻と一緒になんら変わりのない日々を過ごすことが好きだし、バイクが好きだし、お笑いが好きだし、写真を撮るのが好きだし、文章を書くのが好きだ。残りの人生はそうした好きなことをできる環境を作っていきたい。

ということで、まずは文章を書くことから始めてみる。

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