峯松浩道 #ワイン農家

山野町でぶどうの栽培からワイン醸造をしています。 サッカーをしたり、キャンプをしたり、…

峯松浩道 #ワイン農家

山野町でぶどうの栽培からワイン醸造をしています。 サッカーをしたり、キャンプをしたり、アコースティックギターを弾いたり、写真撮影をしたりするのが好きで ここではワインが出来るまでをお届けしていきます。 いつか皆さんの街までワインをお持ちし、一緒に飲める日を楽しみにしています。

最近の記事

山野峡ワイン

かつて山野町の交流点であった西元を、よりたくさんの方と繋がるワイナリーとして生まれ変わらせることで始まったワイン造り。 ここ山野町と皆さんの心を山野峡ワインで繋ぎ、皆さんと一緒に未来のふるさとを作りたい。 ぶどう栽培やワイン醸造の中で、山野峡のテロワールを表現し品質を上げていくことでより幅広い方に喜んでもらえるワインに成長していく取組みをしています。 僕の好きな言葉に、「早く行くなら一人で行け、遠くに行くならみんなで行け」ということわざがあります。 みんなでやろうとす

    • 命が喜ぶ瞬間

      畑に出ていると感覚が研ぎ澄まされてくる。自分自身に入ってくる情報の多くは目からだった。スマホやテレビを見たり、車を運転したり、何かを見ることがほとんど。普段の生活では、目に見える範囲の情報で何かを掴み判断するが畑ではそれだけではない。 遠くで鳴く猿や鳥の声、揺れる山の木々の音、季節によって変わる風の香、空気の温度。目を閉じると入ってくる情報がかなり多い。 私たちがワイン造りを行う福山市山野町は自然豊かで様々な魅力がある。龍頭の滝は落差の大きい名瀑で冬は滝自体が凍り神秘的な

      • 住まいは水呑町

        ワイナリーがある福山市山野町までは車で約1時間かかります。そんな遠くから通ってるの?とよく言われます。逆に言うと毎日福山市の南端から北端までいろいろな景色を見ながら、その土地の特徴や変化を感じながら通勤しているのですごく勉強になるのです。 最近カメラを始めたのですが、どんどんはまっているような状況です。ワイン作りと共通している点も多く、頭をリフレッシュできるのでいつもカメラを持ち歩いています。 ワイン造りと共通している点は、 出来上がりをイメージすること。 これから起

        • ONOMICHI WINE

          ぶどうは一般的に生食用品種と醸造用品種に分けられる。細かく言うといろいろあるが、今日の内容としてはこのように述べておきたい。 僕は子供のころ親の仕事の影響で2度転校をしている。小学1年生までを広島県安芸郡海田町で過ごし、その後広島県尾道市に引っ越しをした。引っ越し先の尾道市山波町は大きな造船所がすぐ近くにあるが地名の通り山も近くにあり潮の香りと山の香に包まれたのどかな町だった。海や川は近いものの親から海に近づくなとの注意があったので遊び場はいつも公園か近くの山を走り回ってい

          YouTubeチャンネル「山野なんで」

          「山野からのお便りをお届けします!!」 2020年5月1日、日本初ワイン農家としてYouTubeチャンネルをスタートさせた。 2019年からぶどうの収穫量が増えると共にワインの醸造量も増えて、2020年になりこれからたくさんの方にお届けできると思った矢先にコロナ禍による行動制限により様々なイベントが中止となっていきました。それに伴い、これまでワイン造りを一緒に盛り上げてくださっていた酒屋さんも飲食店が閉まる中においてワインの動きがピタッと止まってしまいこれからどうしていけ

          YouTubeチャンネル「山野なんで」

          ワイン造りの冬

          山野峡の魅力の一つに、四季がはっきり分かるところということがあげられる。3日あれば山の色はが変わるし、川の水の色も季節で変わる。ぶどう栽培は環境の影響を受けるので、気温、降水量、日照時間のバランスがすごく大切。 ありのままでいたいというのは、人もぶどうも同じ。美味しいぶどうから美味しいワインとは思うがその通りにいくシーズンはないかもしれない。それは東日本大震災での辛い経験で記憶に刻まれた。どんなに頑張っても大自然の中で人の営みは一瞬で流され削り取られた。自然の中に自分たち人

          ぶどう達から教えてもらうこと

          最近、「ワインはどちらで修行されてきましたか?」と聞かれることが多い。「酒類総合研究所です。」と答えるとほとんどの人ががっかりした顔になる。たぶん、海外で学んできたという答えを期待しているのだろうけど、僕自身は純国産で育ったことに誇りを持っている。 家庭菜園レベルのことしか分からなかった僕は、ワインにするぶどうを育てる知識も経験も無い状態からスタートした。1年目は、ほぼ何も分からずシーズンが終わった。これではダメだと、基礎知識を求めて広島県東広島市にある独立行政法人「酒類総

          ぶどう達から教えてもらうこと

          ここは、ふるさと。

          東日本大震災から5年がたったころ、地域の人と人を繋ぐコミュニティを作りたいと思うようになっていた。具体的な方向性もないまま時間が過ぎていたが、ある日現在の会社の社長にワインを一緒に造らないか?と誘われ、悩んだ末に16年間務めた会社を辞めて現在の道に進むことにした。 ここからは現在の話。 ワイナリーがあるのは広島県福山市最北端に位置する山野町。春は山桜、夏は小田川で川遊び、秋は山々の紅葉が美しく四季折々の風景が楽しめる自然豊かな里山だ。しかし、市内で最も高齢化が進んでいる地

          ここは、ふるさと。

          共に食べる。共に語る。

          東日本大震災復興ボランティアで「大自然の中に生かされている自分」には気付けたものの自分自身が地元福山で継続してやりたいことを見つけるには時間がかかった。それが決まるまでは何度も東日本へ行こうと、友達づてにボランティアを呼びかけた。 連休初日に自宅(広島県福山市)を自家用車で出発し、友達と運転を交代しながら高速道路を東へと進んだ。サービスエリアで合流してくれた友達もいて、少しずつ輪が広がる事を実感。宮城県仙台市内に入ったのは2日目の朝だった。 始めて参加する友達と慰霊をかね

          共に食べる。共に語る。

          10年前

          10年前、ここから試行錯誤して今がある。ワイン造りに携わるまでの道のりを数回に分けて書いておきたい思う。 小学生の時、2回転校したことで友達と離れる悔しさから自然と地元というものから避けるようになっていた。友達が出来ても長続きしない。思い出は作らない。そんな、クラスでも影の薄い時期が長かった。 東日本大震災の時、なぜか「何か出来ることはないか?」と思い、支援隊に参加。夜、東京を車で出発。仙台までの高速道路は地震の影響で波打っておりこれから起きることの大変さを感じながら道の