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004★いじめ検討委員会に見学に行く

娘たちが不登校になる直前、体育祭の練習があった。

そこで二人は腰痛を訴える。整形外科で調べたところ、長女は腰椎分離性があることがわかった。次女は腰痛に加えて呼吸困難を訴えていた。

二人はその他に、保育園の頃からの大きな特徴があった。それは「勝負事に全然興味がない」ということ。一応負けず嫌いで、負けず嫌いすぎて避けているところもあるのかもしれないが、家ではじゃんけんすらできなかった。

みんながよーし頑張るぞーってとき、頑張れない。

それでもかけっこだけは、順位がつくというよりは、走ることが楽しいらしく、イノシシのように走ってはいた。

ただ、団体競技になると。彼女らにはハードルが高いことが多かった。ルールを正確に覚える。空気を読みながら呼吸を合わせる。ハッチャキコイテル(北海道弁だが他に適切な言葉が思い当たらない)顔をする。他人の進路の邪魔をしない。

「早くしてよ」「もっと頑張ってよ」「やる気あるの?」

練習中やその後で、そうした言葉をぶつけられた。どうしたらうまくできるか、コツを考えたり、作戦を立ててくれるような友達もいず、娘達も実際完璧に諦めていて、そうこうしているうち腰痛がひどくなり、歩くのもしんどくなった。

みんなが朝練習で集まる中、学校につくのが遅れても走れない。

「君たちは急ぐってことを知らないの」

担任から咎められて傷ついた。腰痛について、医者にもかかっていたが、診断書をとらなかったせいかあまり理解されていなかったし、実際ドクターストップまではかかっていなかった。

しかしそこまで痛かったならいっそ、体育祭そのものを棄権させてあげてよかったのだと今なら思う。そのときはわたしも彼女らの痛みがわかっていなかった。

次女が腰痛のとき、次女に体当たりをしてきた女子がいた。からかいなのかじゃれてきたのかがわからないが、後日担任の聞き取りには「わざと傷つける目的じゃない」と答えたらしい。夫はわざとじゃなくても怪我を負わせたり重傷になる場合があることを、伝えるべきだと学校に求めた。

一年の秋の不登校のときは、実際学校とは「物別れ」になっていた。

次女の担任からの「ご指導」の他に、長女も次女も仲間はずれや悪口の具体例を、いくつか学校に報告していた。

市の教育委員会では「いじめはいじめられた側がいじめであると認識したらいじめ」という定義で、各学校の事例を共有して対策を共有する委員会を開いていた。

わたしたち夫婦は、娘たちが学校に行けなくなっていた事で、当然いじめの重大事案としてこの委員会に報告が行っていると踏んで、傍聴に行った。が、現在市内の中学ではいじめの重大事案は発生していない、との報告を確認して失望した。

このときから、わたしたち夫婦は「不登校の原因を学校とまずは共有しなければ」ということに、重きを置こうと決めた。

しかし、度重なる担任との話で確認できたことは
「わざとじゃない」
「心当たりがない」
「やってない」
「仕方ない」
そういう言葉を生徒が発したとき、学校はとても非力で、結果的には言われた生徒に我慢を強いるか、言われない人間に変わっていくよう鍛えようとすることだった。

このことは、「教師の多忙化」とも無縁ではないかもしれない。

次女を泣かせた担任含め「中学生にいじめについて認識させることもやめさせることも、容易ではない」と、正直に言って来た、二年時の担任にも同情というか、諦めというか、個人にではなく「中学校教育」への失望感のような漠然としたやるせなさが、今も残る。

自分の経験をもとに思いのまま書いていきたいと思います。 現在「人工股関節全置換手術を受けました」(無料)と 「ハーフムーン」(詩集・有料・全51編1000円)を書いています。リハビリ中につき体調がすぐれないときは無理しないでいこうと思います。