森さんから学ぶセンシティブな問題について思うこと
皆様お久しぶりです!峰山コウです☆
情勢もあって色んな制限がかかっている中でフラストレーションが溜まっていることかと思います。時には暴言を吐きたくなったり、ネガティブに落ち込んだりとするときもあるでしょう。最近ネット界隈を見ていて気になっていたことを書きたいと思います。
*この内容はあくまで、コウの主観・感想になります。場合によっては、批判しているように感じたり、傷ついた!と思う方もいらっしゃるかもしれません。私の意見を誰かに強要するつもりはなく、少しでも共感できる方がいらっしゃればいいなくらいの気持ちで書いておりますので全く共感できない方はそっと画面を閉じていただければ幸いです。
上記に注意事項を書かせていただきましたのでさっそく本題に入りたいのですが、センシティブな問題というのはとても繊細な問題であることが多いです。最近は特に男女差別やネットモラルなどで“炎上”しているのをよく見かけます。もちろん内容によっては倫理的にアウトな内容や、その話題によって傷つかれる方もいらっしゃると思います。ですが同時に、当人ではない人が大きく騒ぎ立てているようにも感じます。
なぜその話題がセンシティブで、どの部分が該当するのかをきちんと理解しないまま、この話題や単語自体を禁止用語の様にしてしまうのは逆に本質から遠ざかってしまう気がしてなりません。例えば一番最近だと東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が記憶に新しいです。これは”男女差別”というセンシティブな問題になります。
東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の問題について
この問題は、世界でも話題になりオリンピック開催国の日本にとって大変なマイナスプロモーションになってしまいました。ここでは、”女性軽視”が問題として取り沙汰されていますが、もちろん女性軽視はあります。だって主語が「女性は(が)」なので(笑) そして「わきまえておられる」も衝撃的な言葉ですね。
でももし、この発言の主語に「女性」というワードがなかったらここまで問題になったのでしょうか?
もちろん女性に対して、あたりが強く、強い先入観を持って決めつけ、それをめんどくさいと評価している発言なのでこれは到底許されることではありません。例えば会議が長引くというのは、女性の方が目に見えない部分、大筋よりも細かいケアの部分に意識が向きやすいのでそういった面で長引くのはわかります。逆に男性は大筋を作るのがとても優れていると思います。だからこそ男性、女性両方の視点があることでお互いを補い合いより良いものができるのです。
私としては、たまたまターゲットが女性だったのでここまで問題が大きくなっただけで、本来は組織委員会がきちんと機能できていなかったのではないかと思いました。体育会系の上下関係の闇なのだと。
森さんが上級生として、選手が男性、マネージャーが女性だとするとなんかしっくりきました(笑)根本的に森さんとしては、自分の意に沿わない人は認めない方だったのではないかと思います。そんな状態で正しい議論がなされていたのか……そこを皆さんにも注目していただきたいです。
こうゆう系のニュースが出る度に、男性から女性贔屓だという意見をちらちら見たりします。それは男性も見えないだけで理不尽な世の中で生きてきたからに他ならないのです。そんな当たり前じゃない当たり前を払拭できたならよりよい世の中になるのではと思います。
段々話がそれで行きそうなので今日はここまで!
ここまでお読み頂きありがとうございました!
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