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価値観の相違

昔母が、価値観の違いって言葉嫌いだなと言っていた。
価値観ってなんだよと思うらしい。
今はどう思っているかわからないけれど、なんとなくわかる気がする。

私が思う価値観の違いは、大切に思う部分の違いや、物事における割合の違いではあるが、この「価値観」が何を指すかだって、それぞれ違うのだから、価値観の違いというこの言葉は、厄介で、だけど便利だなと思う。

しかし、先日、あ~~~この人とは価値観合わないな~~!!と感じざるを得ない出来事があった。ので、それを書きます

最近知り合った方と、お茶をする機会があった。しばらくお話をしていて、目についたものの中で、あれ?これってなんでだろう?と思うことがあった。
私は割と日々の中の、『なんで?』を見つけることが好きで、だからそれも、楽しい気持ちで、なんでだろう?と聞いた

すると彼女はパパっと携帯を開き、「これだってさ」と一言。
「調べるの早いね」というと「なんでかな?なんでかな?と言い合う無駄な時間がすきではない」と返答があった。

寂しいなぁと思った。
私は、お互いに、こうだからかな?という考察を話し合ったうえで行う答え合わせが好きで、この会話を無駄な流れだと感じたことはなかった。

しかし彼女にとっては、無駄だった

これが価値観のちがいか…と寂しい気持ちになった。
と同時に、私はやっぱり、人の思考を聞くことが好きだし、無駄を心地よく、楽しいと思える人付き合いを大切にしたいと再認識もできた。

価値観の違いを感じると嫌な感覚ばかりに囚われがちだが、こうやって自分の、所謂価値観とやらを改めて知ることもできるので、悪いことばかりではないな、とも思ったり。

価値観って難しいよね
でも代わりになるピンとくる言葉も浮かばないし、仕方がないからこれからもこの便利で厄介な言葉を都合よく活用させてもらおう


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