見出し画像

布づくりの静と動 ー静編ー

「アフリカンプリント」は本当にアフリカンなのか。

色鮮やかでパワフルなアフリカンプリント。アフリカといえば、アフリカらしい、うわーアフリカだ!そんな印象の強いこのプリント生地が、ガーナやコートジボワールなど、アフリカの一部の国で生産内されたものもあれど、マーケットに出回る多くがオランダ産や中国産であると聞き驚いた。いかにも昔からこの地に根付いているかのようだが、ルーツはジャワのバティックプリントで、その後オランダによって研究開発され、大量生産され輸出されるようになったのは1888年だという。アフリカの古くからの伝統だと思っていたが、西洋的な衣服の衣服の風習の広がりによってもたらされた、まだ150年程度の比較的新しい文化の一部である。(「アフリカンプリント 京都で生まれた布物語」参照)

アフリカで染められた布を見てみたい。

その願いがトーゴで叶うとは思っていなかった。
トーゴに会社を持つ中須俊治さんと、首都ロメから2時間ほどのパリメという町で合流し、彼のお店や現地の生活シーンをたくさん見せてもらった。その中のひとつ、中須さんもようやく見つけたという「トーゴの人が染めたオリジナルの生地」を作る工房Aklala Batickにお邪魔した。

画像8

ここはただの工房ではなく、代表のシャンテールさんがトーゴの女性が自立するための技術を身につける場として立ち上げ、もう10年ほど続けているという。入口をくぐるとお店になっており、布地や仕立てられた洋服、バッグやポーチなどの雑貨が並べられている。少し離れた場所に染色や仕立てを行う工房がある。
ふだんはこうした設立のストーリーにまず吸い寄せられ、きちんと話を聞いてから製品を見ることが多いのだが、今回は店に入るなり、兎にも角にもその生地たちにあっという間に惹きつけられてしまった。

画像9


宇宙、と思った。
暗い色をベースに、爆発して飛び散るように、アメーバのように縦横無尽な筋を残した色とりどりの線が走っている。平面のはずなのに、吸い込まれるような奥行きがある。青緑っぽいものは芳醇な海の水面の反射、赤っぽいものは夕日を鮮やかに跳ね返す森の中の湖畔のよう。引き込まれ、物語の始まりそうなドラマティックな力強さがある。

今までに見たことのない模様だった。
一般的にアフリカンプリントと呼ばれる模様は、境界線のはっきりとしたデザインが多いが、この染めは全く異なり布の端を超えて永遠に広がっていくような勢いがある。きれい、すてき、という言葉で片付けられない躍動感となぜか少しの不穏ささえ感じる。

こんなに力強い生地が、この自然に囲まれたおっとりとしたパリメで生まれているのか。愛想をふりまくタイプではないシャンテールさんの、そこはかとない芯の強さがリンクする。


画像3

中須さん、シャンテールさん、スタッフの女性。シャンテールさんのまとっている服もこの工房で染められた生地で作られている。

この「宇宙シリーズ」だけではなく、ホウキや鳥など日常の身近なものをモチーフにしたバティックプリントのシリーズもあり、そちらも独特の大らかさと土の匂い、そして媚びない寛大さがあった。

店の先から3分ほど歩いた先にある、開放的な工房を見せてもらった。庭に並べられた染色のための台や鍋、干すためのスペースなどがあったが、あいにくこの日は染めの日ではなく、それらは太陽の陽を浴びて静かに鎮座していた。

画像10

画像4

画像3

画像5

その代わりに、数人の女性たちが洋服やバッグを仕立てる足踏みミシンの音と、集中しつつもゆるやかな明るいおしゃべりが流れ込んできた。しっかりとしたコンクリートの床と天井はあるものの、壁がなく庭とつながり風がダイレクトに頬をなでる。やっぱりこういうオープンな作業の場所が、とても好きだと改めて思う。

画像11

ドイツから来てここでインターンをしている、という女性もまぎれていた。それぞれの担当の製品を作りながら、会話を交わし、時々管理監督のような女性が歩いてアドバイスをしたり、相談に乗ったりしている。

スクリーンショット 2021-08-13 8.49.17

ひとつ、壁を隔てると、テーブルの上に大きな白い布を広げ、一人の女性が黙々と印をつけていた。庭からの光が肩と腕にあたり、スポットライトのように滑らかに反射していた。隣の賑やかな話し声がBGMのように流れ込む。

いつもだったら話しかけて、何をしているの、このあとの工程はどうなるのなど聞いてみたかもしれない。けれど、静けさが心地よく、壊さずにいつまでも眺めていたいと思った。邪魔をしないようにそっとシャッターを切った。

画像7

おそらく彼女が印をつけた後、蝋でより細かな模様をつけていき、グラグラと鍋で染め上げるのだろう。染まった後は干して色を定着させ、それがミシンで製品になっていく。彼女はそうした動的な工程に入る前の、まだ無垢のままの布を相手に、静的な下準備を周りに流されることなく一人ですすめているように見えた。

「ご乱心ですね」と中須さんに笑われるほど、あれもいいこれもいい、でもむやみに買っても仕方ない、と散々迷いながらようやく3種類に絞り込んで購入した。(すでにケニアとナイジェリアでも数種類の生地を買い込み、私のスーツケースの半分は布に占められていた)そして後日、テーラーのエピファニに頼んでドレスにしてもらい、日本に帰国した後、東京でカメラマンの柴平さんに、まるでトーゴかとみまごうようなロケーションで撮影をしてもらった。

画像12

画像13

画像14

この柄はとくに、アフリカというよりは色とりどりの星が爆発した宇宙空間に思える。


染め模様の躍動感、シャンテールさんの強い眼差しと低めの声、ミシンの彼女たちのさざめき、しんと蝋つけする静かな彼女の肩のつややかさ、暗がりの中でドレスの仕上げをしてくれたエピファニ、サポートしてくれたパシー、中須さん、柴平さんと、この1枚の写真から幾重にも飛び出し絵本のように人と風景と思い出が弾むように展開されていく。

またたまらなく、あの風景の一部に戻りたくなる。


画像1


-----------------------------------------------------------------------------
うらばなし。

この絵を描く中で、写真では逆光で埋もれてしまっていた、集中した彼女の真剣な眼差しをどうしても表現したい、と苦戦していた。庭に続く開放的なアトリエで、人から少し距離を置いて一人静かに、体ごと神経を手の先に集めている彼女の様子を。

私はその時、実家で絵を描いていた。窓の先には小さな庭と、緑の広がる空き地、そしてその奥にさらに小さな山が見える。緑豊かな、借景に次ぐ借景。窓を開け、まだ本格的に暑くなる前の心地よい風を感じながら、印刷した写真を手元に集中しながら画用紙に細い筆を走らせていた。隣のリビングから、テレビの音と家族が話している声がうっすらと聞こえていた。

突然気づいた。
彼女は、私だ。

私は、彼女を通じて自分を描いていた。
あの時の彼女と同じ姿勢と眼差しと環境で、私は彼女を描いていた。

あの時、彼女の写真をふと撮りたくなったのは、私が理想とする心地良さの状態を彼女がそのまま体現していたからだと、ようやく合点がいった。そして、写真を撮るだけにとどまらず、こうして絵と文章でまた再現しているのは、誰かに伝えたいということ以上に、自分が憧れた心地よさを、今一度自分に刻みつけ確かめようとしているのかもしれない、と思い至った。

この絵も、これまで描いた絵も、そしてまだ描きたいと思っているこれからの絵も。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?