月に一度、オスカー・ワイルドを読む。

 月に一度、私は待合室でオスカー・ワイルドの短編集を読む。十程度の、さして長くもない物語を一話だけ読み進めた後は、連れ合いが手持ち無沙汰に描く絵を眺めたり、或いは彼と小さな声で会話するなどして残りの待ち時間を過ごしている。活字から離れて久しいという彼はその実なかなかの速読者であり、小難しい推理小説のような本でもあっという間に読み終えてしまうのだが、対して私は絵本や童話のような易しい文章でさえ、単語をじっくりと追いかけながら想像しては栞を挟むので、かなり読むのが遅い自覚がある。

 待合室というのはとある大学病院のそれであり、私は早起きと病院通いが得意でない同居人を診察室まで引率するため彼に付き添っているのだ。同居人の少年は、もう随分長いこと、精神病を患っている。

 連れ合い、同居人、彼もとい少年は、名を穹(そら)という。穹君は病院の壁や白い雲に妖精を、街路樹の影や階段の奥に死神を、部屋の中に昨年死んだ私の姉の姿を見、またその声を聞くという。つまるところ幻覚幻聴に悩んでいるらしいのだ。だんだんと酷くなるそれに生活を侵され十五歳から学校通いを辞めてしまった穹君は、その二年後に行方知れずとなり死んだ事にされた私の姉のアトリエに私と二人で住んでいる。その部屋の中で、今でもたまに姉を見掛けたり会話をするのだそうだ。そんな彼は、近頃なんだか、姉に似てきた気がする。

 昔から姉と穹君は良く似ていた。

 従兄弟より遠い親戚なので顔や見た目が似ているわけではなく(かといってれっきとした血の繋がりのある姉弟の私と姉もまた似ていないと空君は笑うのだが)、彼らは思想や言動が、時にぞっとするほど似ていたように思う。

 姉も穹君も共に変わり者といった印象の、少々独特の雰囲気を持つ人間だ。また二人共、性格や画風は違えど絵を嗜んでおり、そうした創作活動をする者同士でどこか気が合ったようだった。絵心の無い私には、路地裏の落書きやスプレーアートのような絵を描く穹君と絵本作家の姉がどうして意気投合するのか疑問で仕方が無かったが。

「大地さん、済んだよ」

 いつの間にか考え事に没頭していたようで、声を掛けられはっとする。先生はなんて? と訊ねると「いつもと一緒」という返事が来た。それよりさぁ、と後に言葉が続く。「さっき待合室で描いたヤツ、完成させてから帰ってもいい?」

「いいよ。じゃあそっちの椅子に行こう」
「ありがと、こいつ、今捕まえないと逃げちゃうからさぁ」

 笑いながら広げたスケッチブックを覗くと、狼のような鳥のような謎の動物がぐしゃぐしゃに描かれていた。

「それ、スケッチ?」
「うん。今、大地さんの頭の上にいる」

 思わず頭に手をやった私を見て吹き出す笑顔は、姉と似ても似つかなかった。

 思ったよりも随分早く描き終えた穹君がスケッチブックを閉じ、さぁ帰りも歩こうとジュースの入っていた紙コップを握りながら立ち上がった。三十路の私に片道五キロの道のりはなかなかしんどいのだが、貧弱同士運動しよう等と言われてしまい、実際私は日常でほぼ運動をしないのでぐうの音も出ず、観念して椅子から腰を上げる。「外を歩くのは楽しい?」と聞いてみると、うん、と頷いた。

「変なのがいないし、姉さんが喜ぶからね」

 鼻歌交じりに散った銀杏を踏み荒らしながらそう呟く後ろ姿が、一瞬姉に見えた気がした。

 

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