三十一時の懺悔室

「あなたの罪を告白なさい」

 もう何度目になるか分からない、同じ言葉を、私は壁のちいさな小窓越しに告げる。壁の向こうの部屋に居るのは、いつものあの男だ。

 定期的に告解部屋を訪れるその男の告白する罪はいつも同じで、若い頃、金欲しさにとある夫婦を殺害したという。何十回と聞かされた彼の過ちの告解を、私は半ばうんざりしながら今日も聞く。神よ、これは私への試練か、罰なのでしょうか。

 この男に殺された夫婦とは、私の両親である。

 当時まだ小さかった私はその事件の後、少し遠くの田舎町に住む伯母夫婦に引き取られた。幼いとはいえ、彼らを養父と養母と思えるほどの年齢でもなかった私は、子供時代を微妙な関係性のままやり過ごし、やがて学生寮のある神学校に入った。卒業後には特別やりたい事も思い付かず、なんとなくふと、小旅行のような気持ちで、父の故郷に行ってみようと思った。つい先ほど学生を終えたばかりの身には、母の出身地まで出掛けるのに手持ちが心もとなかったのだ。

 父の遺品の司教服を手に、村の端の方にある少し寂れた教会の墓地でぼんやりとしていると、地元の村民と思しき人らに声を掛けられた。なんでも、現在この村の教会は、少し前に老主教が亡くなってから無人になっており、代わりに私に来て貰えないか、というのだ。さすがに学校を卒業したばかりなので、力にはなれないと断ろうとはしたが、老人ばかりの小さな村だ、少しの間でいい、真似事でも構わない、とさえ言われ縋られる有様だった。元々これからどこへ行く宛ても無ければ申し出を断る理由も持たない私は、結局その話を承諾してしまった。

 数ヶ月ほど経ったある日、一人の男が村へ来た、いや、正しくは「帰って来た」。忘れもしないその顔は、あの晩に両親の命を奪った男だった。憎悪し続けるよりも記憶を封印する事を選択した私は事件の詳細や記事を意識的に遠ざけており、犯人と父が幼なじみで同じ村の出身だった事など綺麗さっぱり忘れ去っていたのだ。

 記憶と一緒に、いつの間にか感情まで封印していたらしかった私は、何年ぶりかに心のざわつくのを感じた。私の、恐らく引きつっていただろう顔を見た男は、微笑んだ。

「随分とお若い司祭さまですね。先代はさすがにもう居ませんか」

 若い頃に世話になったのだが村を離れすぎたようだと寂しげに独りごちた男は続けて、次に告解部屋が開くのは何日後か、と尋ねてくる。

「着いて早々ですが、何か、懺悔を?」
「ええ罪を──、大罪を犯したのです」

 私の名を聞いても男は顔色ひとつ変える事は無かった。その晩に調べて知ったのだが、男は刑務所で精神をおかしくしたために、少し前に釈放されていたようだった。

 大罪だからといって何度も許しを乞えば良いものでもないと男にやんわり伝えたのは、四度目の告解の時だったか。わずか一ヶ月半の間に四度、自分の父母を殺した男の罪の告白を聞き、その度に神の代理とはいえ「許す」と告げねばならないのだ。私の事を実は知っていて、その上で嫌がらせをしているのでは、とも思う程であったが、男は目を丸くしたのち済まなそうな顔をした。

「それは……申し訳ありません。私はどうも、時間が経つと物事を忘れてしまう病気らしいのです」

 つまりその病気のために釈放されたそうだが、私の両親を殺した事は覚えていて許しを乞うくせに、私の事や、ここで罪を告白した事は忘れるのか。都合の良い頭だなと思わず詰りたくなるのをぐっと飲み込み、どうにか別の言葉を吐き出す。「それならば──、今まで通りに、これからもおいでなさい」

「懺悔をした事を忘れるのは、あなたが生きながらに生まれ変わり、それでもなお、前世の罪に苦しんでいるからです。それならば、その苦しみから解放され、本当に生まれ変わる事が出来るまで来るといい。いつかきっと神はあなたを許すでしょう」

 有難うございます、と小さく告げた男は俯いていて、表情がよく見えなかった。

 これはきっと、両親を忘れようとした私への罰なのだろう。

 いつからか癖のようになってしまったのか、私は気付くと両親の事件を無かったかのように心の奥に封印する。そうして忘れた頃になると、まるで狙ったように男がやって来て罪を懺悔し、再び思い出させる。告解部屋の真ん中に居る時の私は、自分でも驚くくらいに憎しみや悔しさを感じ、悲しみと懐かしさに泣いて眠る夜もあった。無意識に感情を、心を押し殺している時の私は、まるで薄っぺらい顔を貼り付けた生き人形のようだと感じるようになった。

 それから何年経っただろうか。村民は少しずつ減ってゆき数える程に、初老より少しばかり若かった男は老人と呼べる年齢に、青年だった私も中年に片足を踏み入れる頃になった。そんなある年の冬の日の事だ。聖堂に独りで居ると、男が現れた。

「司教さま、こんな夜更けにどうされました」
「あなたこそ。肺炎に罹ったと聞きましたが、出歩いて平気なのですか」
「ええ。今日は少し気分が良くなったので」

 少し間隔をあけて、男は私の横に腰掛ける。そういえば、最後に彼が告解部屋に訪れたのは何ヶ月前だったろう。

「生まれ変わる事は出来ましたか?」
「……さあ、解りません」

 外で雪がしんしんと降り積もる静かな音の残響が、暗い聖堂にこだましているようだった。その音に掻き消えそうな声で、男がぽつりと呟いた。

「私の告白を聞いて頂けますか」
「ここは告解部屋ではありませんよ」
「ええ、けれどどうか今、あなたに聞いて欲しいのです」

 これで最後です、と真っ直ぐにこちらを射抜く目は、老人どころか、心を病んだ人間のそれにはとても見えず、思わずどきりとした。

「そうですか。では……、今は司祭服も着ていない事ですし、こうして神の前に並ぶ兄弟としてでも構わなければ、聞きましょう」
「有難う」

 ふう、と白い息を吐き、心を決めたように老人がかすれた声で語り出した言葉は、私が幾度となく聞かされ続けた例の告白とは全く異なっていた。


「兄さん、どうしよう俺、人を殺しちまった」

 呆然とした、返り血だらけの自分によく似た顔を、私は恐らく同じような表情をして見つめていただろう。悪い冗談はよせと小突きたい気持ちで一杯だが、嫌でも目に付く赤色が、これは現実だぞと殴りつけてくるようだった。

「なぜ、誰を殺した?」
「か、金に困って、どうしようもなくなったんだ。ふたりだ、兄さんも会った事があるだろ、あいつらだよ」

 同郷の、人の善い幼なじみとその妻の名を告げられ、目眩がした。金に困っただと? 小心者のくせに、いや小心者だからこそ、借金取りに怯えて凶行に走ったのだろうか。どうしよう、と涙を浮かべる愚かな弟と同じくらい、私も愚かだった。お人好しの司祭夫婦を愛していたが、同じくらい、弟の事も愛していた。

「いいか。幸か不幸か、私とおまえはのく似ている。おまえの罪は、私が被(こうむ)ろう。その代わり、もう二度と、どんなに小さな罪も犯さず真っ当に生きると彼らに誓うんだ。今すぐに!」

 半泣きで返り血を洗い流した弟に逃げる手順を伝え、幾らか金を持たせる。無論、殺して奪った金は全て出させた。夜行列車の駅の近くで別れる直前、思い出したように弟は言った。

「そういえば、寝室に子どもが居た。目が合った気がする」

 あの時は怖くなって逃げるのに必死だったけど、あの子は……などと口篭る弟を、人が来ないうちにさっさと行けと送り出してから、私は出頭した。

 愚かな弟と、それを逃がす愚かな私の二人分の罪を背負う覚悟だった。しかし当然ながら、私がいくら懺悔しようと、奪った友人たちの命も返って来なければ弟の罪が拭える事も決して無い。苦悩し続ける姿が傍目には精神をやってしまったと見えたらしく、捕まってから十数年後に私は釈放された。

 疲れ切ってしまった私は、弟の事も目撃者の子どもの事も一時(いっとき)忘れて、すっかり変わった町中をふらふらと歩いた。行く所などもうどこにも無かったが、ふと、弟の友人だった気のやさしい彼に一言謝りたいと思い、故郷ゆきの片道切符を買った。

 実に半世紀ぶりだが相変わらず変わっていない小さな村の景色に、どうせ先もそう永くないだろう生を、ここで終えてもいいか、と思った。もうどうでもよかった、の方が正しいかもしれない。

 気の抜けたような頭で村のはずれの墓地へ向かう途中、教会に若い男が居るのが見えた。廃村手前のこんな村に珍しいなと目を凝らしよく見ると、どうやら司祭のようだ。彼も確か神に仕えていたなぁと、これから行く墓の主を思い出していると、司祭がこちらの方を向いた。遠目だったので目が合ったかは定かでないが、思わずぎょっとした。司祭の顔には、彼の面影があった。

 彼の息子だと直感した。遠くからでも分かる、彼の死人のような仮面のような表情を見て、私にはもうひとつ償わなければならない罪がある事を知る。あの夜の事件は、彼の両親だけでなく、彼の心も殺したのだ。

 感情を押し潰して生きてきただろう彼の心をもう一度引っ張り出すために私に出来る事は、たったひとつしかない。それは、両親の命を奪った「私」への憎しみだ。「私」を許すな、恨め、怒(いか)れ、悲しめ、その気持ちを忘れるな! 彼が年相応の青年らしい表情に戻るまで、私は何度でも彼の前で罪を告白し続けた。

「神が罪を許してくださったかは、私には解りません。もう弟も死んだ、私もじきに死ぬでしょう。死を以(もっ)て償えるほど私達の罪は軽くはありませんが──」

 長い告白がようやく終わる頃には雪明かりが朝日に変わり、二人の男の足元を照らし始めていた。老人の言葉の最後は聞き取れなかったが、隣に座る男はやがて静かに呟いた。

「失われたものは返りませんが、あなたの償いによって、……少なくとも一人の人間が、救われたと思います」

 雪よりも幾らか質量のある雫がぽたりと床に落ちる音が一度だけ、静かな聖堂に響いた。

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