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【壮絶な人生】

 昨年に引き続き緊急事態宣言の出ているゴールデンウィーク。ほぼ家に籠っているのであるが、昨日は朝3時半にスタートし仲間と2人で山手線を1周した。と、言っても走ってである。夜明けに街が動き出す姿を見るのはやはり良い。
 心はリセットされたが、今日は脚が棒になっている。
 
さて、前回の続きを始めようと思う。

故石原伸司氏との出合い


 山谷での歯科医師としてのアルバイト生活が、ちょうど5年目を迎えた頃、ある壮絶な人生を送った方と出合う。
 
 元ヤクザ、元作家の故石原伸司氏である。
患者様として、たまたま来院してくださり、初めは誰かも分からなかったのだが、数回来院したところで、いきなり自身の本を持ってきてくれた。

 その本の題名は「歌舞伎町のシャブ女王 覚醒剤に堕ちたアスカの青春」と、衝撃的なものであった。
 
 そこで、石原氏の素性を知ることとなる。

 石原氏は15歳でチンピラ、22歳で暴力団構成員となり、傷害など犯罪を重ね、30年近くに渡り刑務所に服役。
 最後の服役後、刑務所手記などを発表し、また、自身の体験をもとに繁華街で若者の悩みを聞きながら、非行の防止や更生を支援する活動を独自に始めるようになり、「夜回り組長」としてメディアで大きく取り上げられ、テレビ番組への出演や執筆活動をこなし、さらには半生が映画化もされた。

 そんな石原氏は治療に来る度に、刑務所での生活のこと、ヤクザ時代のことも教えてくれた。
 そして、非行に走る若者をどのように更正させるかが、俺の最後の人生の役目だと言っていた。

 2年くらいは定期的に真面目に通ってくださったが、突然、病院に来なくなってしまった。

 自分も山谷でのアルバイトが終わり、結局最後は挨拶もできず終わってしまった。

衝撃の結末

 次に石原氏を見かけたのは、残念ながらニュースであった。

 簡易宿泊所において男性を絞殺し、腕時計を奪い、さらに後日別の男性を刃物で切りつける事件を起こしたのち隅田川に飛び込み、入水自殺をしたというものであった。

 その衝撃的な内容をたまたま、ネットニュースで見た時のなんとも言えない、気持ちはいまでも忘れない。
 
 友人にそのことを話すと、『犯罪者は一生更正できないよ』と簡単に言われてしまい返す言葉がなかった。
 しかしながら、人間としてその当事者と関わったことがあると、一概にその一言で終わりにすることができず、未だにモヤモヤした気持ちが残っている。

出合いは人生の宝

 『出合いは人生の宝』
 石原氏が、口癖のようにいつも言っていた言葉である。
最後は再び犯罪者になり、自ら命を絶った石原氏であるが、自分は彼から、一般人には知り得ない世界のことを学ばせてもらった。知らなくても良いことだが、学ばせていただいたことに感謝している。

医療者としてみた山谷

 自分が山谷での経験を表に出すことは、この土地での経験を美化し利用し、山谷の方々を見下す表現になってしまうかもしれないので記事に出さないほうがよいと躊躇した。
 
 正直、山谷で働き始めた当初は、自分はなんでこんな所で働かないといけないんだと思っていたし、この負のオーラしか感じられない街から早く抜け出したいとさえ思っていた。

 しかし、この負のオーラというものは、自分が決めつけたことで、誤ったものだということがのちに分かった。

 デジタル化が益々進む医療であるが、人間同士の関わりは無くならないであろう。

 人間と人間との泥臭い関わりあいを教えてくれた山谷での経験は、自分にとっての人生の宝である。

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