ナチスは「良いこと」もしたのか?
なかなか目を引くタイトルにつられて、本屋で思わず購入した本が『ナチスは「良いこと」もしたのか?』でした。
何か情報を得るときによく起こるのが、その情報のなかに事実だけではなく誰かの意見が混ざっているということでしょう。
この本ではナチスが「良いこと」をした、と主張するときによくつわれる事例をもとに、足りない情報を紹介し、そこに長年の研究者としての解釈を付け加えるというのが主な流れでした。私も実際全く知らなかった事実を知ることができて、とても興味が湧きました。
しかし、結局のところこの本の中で筆者が言いたかったのは、誰かの意見に惑わされるのではなく、事実と (それに基づく論理的な解釈) を抽出せよ、というのだったように思います。
情報というのは個々に独立しているのものではなく、川の流れのように文脈が必ずあります。意図的かそうでないにしても情報を得るという行為には切り取りが発生するのものです。
我々もだいぶメディアによって鍛えられてきたので、意図的な切り取りの匂いには敏感になってきたと思います。しかし、この世には意図的でない切り取りも多数発生します。そしてこの種類のものは身近で起こるのが辛いものです。
この本の中でとある女子高生の書いた小論文に関するツイートがよく出てきますが、この女子高生に何か政治的な意図があったとは考えにくいのでこの一種ではないかと思います。
ナチスのプロパガンダを含んでいて、誰かの意見が混ざった情報の一部を切り取った結果こうなったのでしょう。
全ての情報を把握しておくのは不可能なので、私にできることというのは盲信せずに必ず疑いの心を持っておくことでしょうか。
だから面倒臭い人間と言われるのでしょうかね。。。辛い
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