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アートの一瞬は誰かの一生を左右するかもしれない、その責任をとるのがキュレーターである

キュレーション【curation】
1 美術館・博物館などの展示企画。
2 情報などを特定のテーマに沿って集めること。

「キュレーション」(curation)とは、情報を選んで集めて整理すること。あるいは収集した情報を特定のテーマに沿って編集し、そこに新たな意味や価値を付与する作業を意味します。

出典:webio辞書

キュレーターは、企画をつくり、文章を書いて、リサーチして、交渉してと、やるべきことは多岐にわたる。

でもその中で最も大事なことは、何だろうか?

鈴木潤子氏はその一つとして、「焚き付けた責任」なのだと言う。

100年後にやって良かったと思えるプロジェクトにする。
10年後の自分が恥ずかしくないような仕事をする。

責任を全うするために彼女にそう言わしめ掻き立てるキュレーターという存在、アートの力というものを紐解いていきたい。


はじめに

本書は、「武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース クリエイティブリーダシップ特論 第四回(5/3)鈴木 潤子さん」の講義レポートである。

講師:鈴木 潤子(すずき じゅんこ)
東京都出身。時事通信社、森美術館、日本科学未来館で通算約20年間の勤務を経て独立。 2011年より無印良品有楽町店内のギャラリースペース・ATELIER MUJIにてキュレーターとして8年間で約50件の展覧会とその関連イベントを企画運営した。2019年4月に開店した無印良品銀座店6階ATELIER MUJI GINZAにて展覧会やイベントのキュレーションを行い現在に至る。同時並行でフリーランスとしてこれまでの経験を活かした個人事務所@Jを立ち上げ、アートやデザインを中心に、幅広い分野でPRやキュレーション、文化施設の立ち上げに携わる。

美術の専門分野を、アートや芸術礼賛ではなく、アートと社会、私たちの社会そのものを、いつも考えている実践派。主張より、強調、共創、日常の中のアートを求め、その活動はアート思考という思考するものではなく、実践の中でのアートのあり方や数々のプロジェクトは本当に本質的で、考えさせられる。表現すること、アートの役割、社会との関係性の鋭いキュレーション力は、いつも、美しいくらしや生き方へのあくなき追求から来ているのではないだろうか。若杉教授は鈴木潤子氏をこう紹介した。

不要不急を排除するいま、アートは私たちに何をもたらすのだろうか?

時代においてアートは必要なのか?この問いに向き合いながら、鈴木潤子氏はアートの可能性、アートの力をこう言葉にする。

" キュレーターとして取り組むアートのプロジェクトは、その時にしかない瞬間のもので、それにこれだけのパワーを使うのかと思うときもあるけど、アートはその一瞬で誰かの一生を変える力を持っている。"

スペキュラティヴ・デザインの概念でもそうだが、テクノロジーが先行するのではなくその中心にあるのはいつだって人の生活であり、それはアートも同じである。アートによって、人の人生が大きく変わる可能性があると言う。

その可能性という責任を背負い、10年後の自分が恥ずかしくない仕事をしようと、常に自分を律する。アートは美術館にあるもの、自分には関係のない一部の芸術家だけのもの、そんな遠い宇宙の向こうのような存在ではない。アートはあなたの中にある、私の中にもある、そしてあなたと私の間にもあると。鈴木潤子氏は続ける。アートは社会の中の日常に転がっていて、思いも寄らないところで自分を揺さぶられる。そんな世の中にある不思議な"スイッチ"がアートなのである。そして、目が覚めたままみんなで見る夢は夢じゃなく、それは未来なのだと。

直江津の人とクリエイターに向けたラブレターである

「なおえつ うみまちアート」が2021年8月1日から9月26日まで開催される。キュレターとしてこのプロジェクトを手がける上で鈴木潤子氏は、「家族には"儲からないマグロ漁船"と伝えているんです」と、冗談を交えながらも、その言葉から並々ならぬ想いが溢れていた。

直江津でこのプロジェクトをする意味は何なのか。街のシビックプライドを地域の人が両手で持つこと、一瞬でも街の人が未来を見ることが出来るようになるために。ヴィジョンとテーマは以下だ。

ヴィジョン
未来への交感 / Mutual Sympathy for the Future


ここ上越の地には、固有の風土気候に生きる智慧や矜持、美が重層的に秘められています。時代を越えて受け継がれてきた素晴らしい先人 たちの財産で、遙か遠く未来までも照らしたい。文化や芸術が架け橋となって、街の魅力や賑わいをみんなで交感する風景をつくりたい。目線は、100年後のくらし。
2021年夏、今を生きる私たちの手で未来の人たちもよろこぶ直江津を目指し、この地のために生まれたアートを携えて、未来志向の新たなシビックプライドを醸成します。アートは、それにふれる人の目や心の中に存在し、人の数だけ違いがあって、その多様性を楽しみながら街の力にできるもの。今、私たちは未曾有の不確定で困難な状況に置かれています。これまでの日常を取り戻せなくても、私たちのアートで次なる社会を切り開くことができる可能性がこの地にあると信じています。みなさんとともにこれまで歩んできたこの道の先へ、勇気ある一歩で、新たな挑戦に踏み出します。

テーマ
「うみ/まち/ひと」


豊かな自然と海運で栄えた日本海に面した港町、直江津。古の時代から商いとともに、さまざまな人や文化が漉き込みあって、その時々の新たな価値を創造してきました。その営みの中に、アートの種が宿っています。アートは人間の根源から生まれた術であり、暮らしの中に息づく美しい生きる力。それは歴史という時間、街という空間と呼応しながら、普段意識することのない感覚をしなやかに揺さぶります。
人は街、街は人。人が変われば街が変わり、街が変われば人が変わる。この夏は海辺の街に集うみんなで、ここにしかない新しい体験を創造し分かち合います。目が覚めたままみんなで見る夢のような、うみとまちとアートが漉き込まれた街の景色がまた、新たな何かを生み出すでしょう。海を渡り、港を廻るかつての船のように、今を生きる私たちから未来への贈り物になることを願って。

キュレーターは、焚き付けた責任を取ること

キュレターとしてプロジェクトを進めることは、リアルの積み重ねである。細かい見積もりから、様々な調整を重ねていくそれは、楽な道を選ぶことなく、一瞬の奇跡のために全てを注ぐ作業だ。98%が困難で、そのプロセスの中に本質がありそれが醍醐味そのものであると。そして、プロジェクトやモノが芽を出すその瞬間、その渚が病み付きになるのだと言う。

プロジェクトは一人で進めることは出来ない。多くの人と連携しながら仕事進めることは、自分の頭以外の人と手を取り合いながら、自分の思考が外に出てそこに不確定な要素が足され重ねていくこと。難しいことだが、上手くいくと自分では出来ないことがいくらでもできる。

「裏切られるのが好きなんです」

鈴木潤子氏のこの言葉は、自分のアイデアや考えに固執して矢印を自分に向けているのではなく、プロジェクトの成功、ひいてはプロジェクトを通じて一瞬のラブレターを受け取った誰かの心のスイッチが入ることに、ブレない矢印を持ち続けているからこそ出る言葉だと思う。

大人が持つプライドと言う錆びを纏わず、自分の枠を裏切られることを期待する姿には、自分の意見を押すことではなく引くことの重要性、質問する力こそが大事なのだと言うことの説得力しかない。

信念を持って生きることは伝わる

鈴木潤子氏は自分のことを不器用だという。もっと上手く出来ると思うけど、どうしても楽な道を選べない。たくさん寄り道もした。でもその道草が全て肥料になっていると。ただそれは決して不器用ではなく、合理性の裏に隠された落とし穴に違和感を持ち、自ら本質を手繰り寄せ、繋ぎ合わせていることなのだと思う。今までの点と点を繋げることは、その人の生き方であり、そんな生き方をセンスが良いと言うのかもしれない。

今回のお話を伺い、ただアートのキュレーターとして最前線で活躍されることを学んだのではなく、人としての生き方を学ぶことができたように思う。

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