アートの一瞬は誰かの一生を左右するかもしれない、その責任をとるのがキュレーターである
キュレーターは、企画をつくり、文章を書いて、リサーチして、交渉してと、やるべきことは多岐にわたる。
でもその中で最も大事なことは、何だろうか?
鈴木潤子氏はその一つとして、「焚き付けた責任」なのだと言う。
100年後にやって良かったと思えるプロジェクトにする。
10年後の自分が恥ずかしくないような仕事をする。
責任を全うするために彼女にそう言わしめ掻き立てるキュレーターという存在、アートの力というものを紐解いていきたい。
はじめに
本書は、「武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース クリエイティブリーダシップ特論 第四回(5/3)鈴木 潤子さん」の講義レポートである。
美術の専門分野を、アートや芸術礼賛ではなく、アートと社会、私たちの社会そのものを、いつも考えている実践派。主張より、強調、共創、日常の中のアートを求め、その活動はアート思考という思考するものではなく、実践の中でのアートのあり方や数々のプロジェクトは本当に本質的で、考えさせられる。表現すること、アートの役割、社会との関係性の鋭いキュレーション力は、いつも、美しいくらしや生き方へのあくなき追求から来ているのではないだろうか。若杉教授は鈴木潤子氏をこう紹介した。
不要不急を排除するいま、アートは私たちに何をもたらすのだろうか?
時代においてアートは必要なのか?この問いに向き合いながら、鈴木潤子氏はアートの可能性、アートの力をこう言葉にする。
スペキュラティヴ・デザインの概念でもそうだが、テクノロジーが先行するのではなくその中心にあるのはいつだって人の生活であり、それはアートも同じである。アートによって、人の人生が大きく変わる可能性があると言う。
その可能性という責任を背負い、10年後の自分が恥ずかしくない仕事をしようと、常に自分を律する。アートは美術館にあるもの、自分には関係のない一部の芸術家だけのもの、そんな遠い宇宙の向こうのような存在ではない。アートはあなたの中にある、私の中にもある、そしてあなたと私の間にもあると。鈴木潤子氏は続ける。アートは社会の中の日常に転がっていて、思いも寄らないところで自分を揺さぶられる。そんな世の中にある不思議な"スイッチ"がアートなのである。そして、目が覚めたままみんなで見る夢は夢じゃなく、それは未来なのだと。
直江津の人とクリエイターに向けたラブレターである
「なおえつ うみまちアート」が2021年8月1日から9月26日まで開催される。キュレターとしてこのプロジェクトを手がける上で鈴木潤子氏は、「家族には"儲からないマグロ漁船"と伝えているんです」と、冗談を交えながらも、その言葉から並々ならぬ想いが溢れていた。
直江津でこのプロジェクトをする意味は何なのか。街のシビックプライドを地域の人が両手で持つこと、一瞬でも街の人が未来を見ることが出来るようになるために。ヴィジョンとテーマは以下だ。
キュレーターは、焚き付けた責任を取ること
キュレターとしてプロジェクトを進めることは、リアルの積み重ねである。細かい見積もりから、様々な調整を重ねていくそれは、楽な道を選ぶことなく、一瞬の奇跡のために全てを注ぐ作業だ。98%が困難で、そのプロセスの中に本質がありそれが醍醐味そのものであると。そして、プロジェクトやモノが芽を出すその瞬間、その渚が病み付きになるのだと言う。
プロジェクトは一人で進めることは出来ない。多くの人と連携しながら仕事進めることは、自分の頭以外の人と手を取り合いながら、自分の思考が外に出てそこに不確定な要素が足され重ねていくこと。難しいことだが、上手くいくと自分では出来ないことがいくらでもできる。
「裏切られるのが好きなんです」
鈴木潤子氏のこの言葉は、自分のアイデアや考えに固執して矢印を自分に向けているのではなく、プロジェクトの成功、ひいてはプロジェクトを通じて一瞬のラブレターを受け取った誰かの心のスイッチが入ることに、ブレない矢印を持ち続けているからこそ出る言葉だと思う。
大人が持つプライドと言う錆びを纏わず、自分の枠を裏切られることを期待する姿には、自分の意見を押すことではなく引くことの重要性、質問する力こそが大事なのだと言うことの説得力しかない。
信念を持って生きることは伝わる
鈴木潤子氏は自分のことを不器用だという。もっと上手く出来ると思うけど、どうしても楽な道を選べない。たくさん寄り道もした。でもその道草が全て肥料になっていると。ただそれは決して不器用ではなく、合理性の裏に隠された落とし穴に違和感を持ち、自ら本質を手繰り寄せ、繋ぎ合わせていることなのだと思う。今までの点と点を繋げることは、その人の生き方であり、そんな生き方をセンスが良いと言うのかもしれない。
今回のお話を伺い、ただアートのキュレーターとして最前線で活躍されることを学んだのではなく、人としての生き方を学ぶことができたように思う。
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