祭りは出産

民俗学者の吉野裕子先生は「祭りの原理」という論文で、神祭りとは出産であると結論づけていることがとても共感しました。


例として沖縄の祖神祭りを挙げているのですが、ある資料には祭りに奉仕する女性は裸体で山に入り、7日間の断食ののちに最後の夜はクナブリ(=性交)の真似をする。これを男が見たら神罰が下るという。


私たち神職は例祭など大きなお祭りの前は、斎戒といって神社に籠って身を清めます。
他宗教の場合、こういう期間は辛い行があったりするのですが、神道の場合はただ籠るだけです。これは妊娠期間を表しているのではないでしょうか。


今でこそ性交のもどきは残っていませんが、吉野先生によると「オハケ」を代表とする呪物が祭りに先立って性交を表すのではないかと論じています。


天岩戸神話も見方によっては妊娠ー出産を表していると考えられます。
アメノウズメが舞った神楽舞は半裸で舞う様子から、沖縄のクナブリと同視されています。性は生に通じますから、神楽舞(性交)-岩戸隠れ(妊娠、胎児)-天照大神の出現(出産、新たな神の誕生)を表すとすれば、神祭りも同じプロセスをたどるはずです。


神主という言葉は今でこそ神と人との仲取り持ちとされていますが、最初に「神主」という言葉が使われた日本書紀では神そのものの意味で使われています。
つまり、神職の斎戒は妊娠期間を表し、例祭の当日は出産ー新たな神の誕生を祝うのです。


では「新たな神」は誰がその役を担うのでしょうか?
それは子供(稚児)や巫女です。
お祭りの行列や神楽舞に子供(稚児)や巫女が奉仕するのは、新たに誕生した神の役を務めるためです。
本来は赤ちゃんが適当ですが、赤ちゃんですと奉仕に耐えられないので、なるべく赤ちゃんに近い存在が選ばれるのだと思います。


神祭りとは何か、というテーマはこれまで神道神学の大先生方が論じておられると思いますが、私は吉野先生の女性の視点から見たこの論文に大変感銘を受けました。諸先輩からは批判を受けそうですが、出産は女性にしかできませんから、古代のシャーマンがことごとく女性であった理由も納得できます。
祭りが出産であるということは、出産もまた神事だったのでしょう。先日投稿した「うぶすな」にも通じますね。

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