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お金が千切れて気づいたこと

スーパーのレジでお金を払う時に、財布のファスナーにお札が引っかかってしまい、お札が千切れました。。。

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うわー! ヤバイ!と何とか挟まったお札を出して、マジマジと千切れたお札を眺めながら、改めてお札ってただの紙やなと思った。

最近のスーパーやコンビニ、駅の券売機では千切れた部分をテープで貼ったお札はお金とみなされずに突き返されるだろう。

平日に銀行に行って交換してもらうけど、何か改めてお札は紙で、こんな紙切れに頼るんじゃなくて、自分が出来る事を増やす事が良いんじゃないかと思った。

むやみやたらに何かを学んで身につけるとかじゃなくて、自分は楽しんでできて人と共有できるものというか。

何かすごい事とか、人にできない事とかじゃなく、自分が楽しんで出来る事。

自分の中では普通に出来るような事。

そういうのを出し惜しみなくやれるようになる事がこれから大事になるんじゃないか。

お札が千切れて、そんな風に思いました。


そんな風に書くと、めっちゃ心が綺麗な人みたいだけど、そう思ったのも、私自身がお金に対してめちゃくちゃ執着があったから。

千切れたお札を見て、最初は焦って、「マジか! これじゃレジ通せないし、使えんやん!」と思って、ふと、「千切れて使えないお金とは?」と思って改めて考えてみた。お金の事を。


私はお金をたくさん欲しかった。お金があれば、好きなところに行けて、好きなものを買えて、美味しいものを食べられる。何でも好きな事ができる! そう思ってた。

そう思いながらも、私はお金を稼ぐのは下手で、あんまり稼ぐことは出来ないし、商売っ気もなく、根性もなく、お金儲けには向いてへんなと思ってた。


だけど千切れたお札をマジマジと見た時、この紙に縛られていた自分の事が見えてきた。

本来お金は、その人が出来る事でお互いの幸福を高めた証みたいなものが始まりだったはずだ。知らず知らず知らずのうちに、お金という存在だけが浮き上がって、経済第一主義みたいになっていってしまったんじゃないか。

本来のお金の起源に立ち返って、自分が出来る事で人と喜び合う交換をすることが重視されれば、みんなもっと幸せに生きていけるように思う。


緊急事態宣言が出て、自粛要請が長引けば、また会社の倒産や失業者が増える。そしてまた自殺者が増えるだろう。

だけどお金に縛られず、その人が出来る事だけで社会が回せる世界なら、希望を捨てずに生きていけるんじゃないかな。

そういう風になっていく事を願いながら、自分が出来る事を増やしたいと思ったんだ。それが今後はお金に変わるエネルギーになるんじゃないかなぁ。というか、本当はそうだったはずなのに、何かずっと間違った感じで思い込んでたのかもしれない。


お金千切れて気づいた。何かよかったな。



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