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意外とあっけなかった話【8】

前回のお話はこちら ▽


【お読みいただく前の注意事項とお願い】

・不安障害についての記述が出てきます。それを踏まえてお読みいただき、不快感や嫌悪感を感じた場合は、閲覧をおやめください。



・不安障害と診断される以前に、感情の赴くままに書いた日記をもとに執筆していきます。過激な表現などがありますが、できるだけそのまま掲載したいと考えています。理解しにくい点も多々ありますが、ご了承いただきますようお願いいたします。



その他、詳しくはこちらの記事をお読みください。


【2020年12月25日】


“あの日”から3週間が経った。当の本人は、そのことにシャワーを浴びながら気付いた。マヌケな顔で。ずいぶん遠いことのように感じる。



最近は調子が悪い。なにもしてないのに動悸がする。過呼吸の前のような状態が続く。それでも過呼吸の苦しさを知ってしまったから、その状態になるのも怖い。



身内に話せたところも大きいと思う。この苦しさを知っている妹は、昨日さっそく住民票を送ってくれた。届いた住民票には、なんともゆるいイラストが添えられていた。そしてご丁寧に折れないようにクリアファイルにまで入れてくれていた。



今日は疲れた。金に執着しすぎるわたしはいつか、この執着さに愛想を尽かされる気がする。

当時について、いろいろ

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最近は調子が悪い。なにもしてないのに動悸がする。過呼吸の前のような状態が続く。それでも過呼吸の苦しさを知ってしまったから、その状態になるのも怖い。


ウィークリーマンションに越してから、なんとも言えない居心地の悪さを感じていました。



ただ買い物に行くだけで外に出るのが怖かった。そしてたった30分の外出で薄く汗ばむくらい疲れてしまう。常に喉になにか詰まっている感じがする。



過呼吸の苦しさを知ってしまったのもありましたが、外出中に過呼吸になってしまったら…という不安も大きかったです。


身内に話せたところも大きいと思う。


この数日前、実家にいる妹に電話をしていました。当時の状況を話すと、新居の契約に必要な住民票を次の日に送ってくれました。



なぜ妹に連絡したのか。それはわたしが実家ではなく、イシダさんを頼って上阪した理由にも関係があります。



少し話が逸れそうなので、後ほどお話したいと思います。


金に執着しすぎるわたしはいつか、この執着さに愛想を尽かされる気がする。


このときはちょうど新居が決まり、イシダさんと今後のお金の話をしていました。



かつてキャストとお客様の関係だったわたしたちが、お金の話をするのは生々しいものがありましたが…



綺麗事じゃなくお金は大事。でもお金より大切なものもある。
頭では理解していますが、どうしてもお金に関してはシビアになってしまうわたしがいました。



これはいまだに変わっておりません。家計簿も1円単位でつけています。笑


わたしの妹について


さてここで先ほど触れた、わたしの妹を紹介したいと思います。



彼女は何年も前から「社交不安障害」を患っています。



左利きで、末っ子だからかモノをねだるのが天才的にうまくて、本人は苦手と言うけれどなぜか理数科目が得意で、絵が上手くて、料理も上手い。そんな妹です。



昔から超がつくほど人付き合いが苦手でしたが、大学在学中に生きづらさを感じ社交不安障害だと診断されたそうです。



家族の理解は半分くらい。わたしも病名までは知りませんでした。
ただ実家にいたときに、ふと気になって「鬱とは違うの?」「どんな感じなの?」といろいろ質問したことがありますが、普通に答えてくれました。



わたしが不安障害と診断されるのはもう少し先の話ですが、

「なんか食べれるんなら食べてお眠り」

「ベッドは親友」

「(動けないのは)体が動くなと言っている」

と、からだとこころが一致しないわたしを肯定してくれたのも彼女です。



元気なときはただただ普通、そうじゃないときは飲まず食わずで閉じこもる。
ケンカもよくしたし、今でもするけど、ごく普通の妹です。

当時といまの答えあわせ

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「妹だけじゃなくわたしまでこんな状態だと知ったら両親はショックだろうな」

「わたしのせいで両親まで精神を病んでしまったら取り返しがつかない」

「お金を稼げなかったらわたしに価値はない」



理解ある妹がいる実家に帰らなかった理由は、当時わたしが真剣にこう思っていたからです。



珍しいかもしれませんが、両親はわたしが夜の街で働いていることを知っていました。やめろと言われたことも、お金をせびられたこともないので仲はいい方なのかもしれません。



そして実家があるのは山の中のとてつもない田舎。変に噂を立てられるもの嫌でした。



これがイシダさんを頼って上阪した理由です。
このときに出した答えがよかったのは悪かったのかは、今でもわかりません。



イルミネーションに照らされた街と対照的に、こころは真っ暗な闇の中を彷徨っているようでした。



次回は年明け。当時のことを思い出すと、どうしても頭の処理速度が落ちますがどうにか書き上げたいと思います。



それでは次回もまたお会いできることを楽しみにしております。


お読みいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、今後の成長のための勉強と命の水(ビール)に充てたいと思います。