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意外とあっけなかった話【3】
前回のお話はこちら ▽
【お読みいただく前の注意事項とお願い】
・わたしの前職(夜職)の記述があります。前職時代に、不安障害の原因となる出来事が起こりましたが、ナイトワークそのもの、及び現場で働いている方・関係者の方、普段 紳士的に夜のお店をご利用していらっしゃる方を貶める意図はございません。
その他、詳しくはこちらの記事をお読みください。
【2020年12月3日】
まつエクに行く
イシダさんとごはんに出る
行く途中から息苦しい
1時間でギブ
迎えにきてもらうも過呼吸に
腕を引っ掻いてしまう
あまり泣けない
2時間おきに起きる
当時について、いろいろ
前日の夜、店長に連絡を入れ休みをもらっていましたが、イシダさんから来店予定の連絡が。
イシダさんについてはこちらで紹介しています。
「イシダさんに会ってグチを聞いてもらおう」「そうしたらきっとわたしも元に戻るだろう」との考えに至ったのは、今までの歴史と、イシダさんに対するお姉さんからの信頼があったからこそでした。
それなのに。イシダさんが待つ駅まで送ってもらっている道中から、息苦しさがありました。着いてからなんとか車を降りるも、駅の喧騒はさらにわたしを苦しめました。
合流して近くの飲食店で食事をしましたが、少ししか口に運ぶことができず。にも関わらず、退店する前にトイレで吐いてしまいました。
結局、イシダさんといたのは1時間ほど。事情を知るお姉さんの知り合い(お姉さんは仕事中のため)に連絡して迎えにきてもらいました。
その車内で過呼吸になり、お姉さんの家についてからもそれは続きました。
自分が情けなくて泣きました。でも苦しくて泣けないのです。過呼吸も、どうしようもない苦しさもツラく、どうにか止めようとして腕を引っ掻いて痛みを与えることで気をそらそうとしました。
疲れ果てては寝て、また起きて、寝ているのか起きているのかわからないまどろみの中で朝を迎えたのを覚えています。
当時といまの答えあわせ
「目がうつ病の人のそれだった」とイシダさんは当時を振り返って教えてくれました。自分でもなぜかイシダさんの目を見るのが怖かったのを覚えています。
当時イシダさんには、なにが起こったかを伝えていませんでした。
ただ「今日は仕事休んだから普通にごはんに行こう」としか言っていませんでした。
イシダさんはこの時点で「おかしい」と感じたようです。
なぜなら、わたしが休むなんてことはほぼなかったから。ぎっくり腰になろうとも出勤していたわたしが、休んだのは店休日と食あたりしたときぐらいだったから。
結局、イシダさんには事の詳細を話すことができないまま、その日は解散しました。
これまでのことを書くのに、いろいろとイシダさんにも聞き取りをしました。
正直なところ、わたしは当時のことをあまり覚えていないのです。
ただこのときイシダさんは何気なく言ったかもしれない「つらかったら大阪においで」のひとことが、まさか翌日現実になるとは誰が想像したでしょうか。
次回から少し、内容がボリューミーになりそうなので今回はこのくらいで。
またお会いできることを楽しみにしています。
お読みいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、今後の成長のための勉強と命の水(ビール)に充てたいと思います。