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popupおわり2。
私は今、この時あるもを全て出し切ったのだ。
そう言える大事な場面になった。
作り上げたときに
"これを必要とする人の元にしっかりと届きますように”と思った。
売れるかどうか、という反応は不思議と気にならなかった。
例えば市場で良い!と思ったものはいつもちょっと手が届かない。
客観的にみて(本当に見れているかどうかはわからないけれど)
その時の感覚に似ている気がした。
ちゃんと良い!と思えた。
ものづくりの大前提としてまず自分が良い!と思えるものを生み出す技術が必要でそこをひたすらに磨いていくしかない。
それと同じくらい重要なこととして。
この期間が始まる前に右往左往して迷っていたことがあった。
ギリギリで生きているとそのような迷いはなくなると知った。
迷っている隙間などなくなって、いつの間にかシンプルに答えが出ていた。
好きか、嫌いか。
やるかやらないか。
それは私の場合初めから決まっていることなのだった。
そこに打算や思惑が入ると迷いになる。
大人として、戦略として、みたいなことは私の場合結局は必要ない。
だから、もしかすると、いやたぶん大いに、
遠くには行けないし、大したことも成せないのかもしれない。
それでも嫌いなものは嫌いなのだと思う。
好きなものは好きだといいうことと同等に。
ゆるされる間はそのくらいの純度でものを作っていたい。
とにかく、私はまだまだ追いかけているのだと思う。
欲しいものはすべて手に入る、と思った時は停滞していると思った方が良い。
届きたい人たちがいる。
その人たちに届く日まで、向上するしかないのだろうな。
これは3/1に実際に手書きでノートに書いた文章そのままなのですが。
(加筆する余裕がなく)
そういえば先日、同じような話の展開になった。
自分で結論を出していたことをすっかり忘れていたけれど、同じ結論をもらった。
あるいは結論はひとつなのかもしれない。
mine.
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