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リテラシーとレジリエンスがキーワード

知識の土台がシッカリした人は少しの情報から多数の気づきを得る。逆はどうか?知識の土台がない人に大量の情報を与えてもリアクションに近い反応しかしない。リテラシーの高い人はエビデンスやファクトがシッカリ固まらないと発言しない。リテラシーの低い人ほど反射的に反応し、無駄に世の中を掻き回す。2021年に起きることはリテラシーの格差による分断だと推察している。

オリンピックは必ず開催される。という人と、オリンピックの開催は2021年には無理だろうという人がいること。どうなるか分からないよね。という人がいて、知見も知恵もなく、目的もない会話に何の価値も生まれない。

リテラシーの低い人達の意見がネット上のマジョリティになることは間違いない。反射的に反応してしまう人がSNS等に安易な意見を書くのだから仕方ない。

Yahooニュースのコメント欄は顕著にそれを表している。

沈黙は金、雄弁は銀。不確定な時代に飲み込まれないために、上部だけの情報に反応する人の声を聴かないことが今の時代は大切なんだと思う。

SNSの功罪は、リテラシーの低い人たちの声を大きくしてしまったこと。

速報性を重視するために、査読されることもなく容易に情報が溢れかえり、それがマジョリティに見え、世論を形成しているかのようにメディアは取り上げる。テレビはリテラシーの低い人たちの栄養分になり、無駄な情報のリソースはネットメディアで拡散され、リテラシーの高い人たちは意見することは少なくマイノリティ化してしまう。

コロナ禍で必要なレジリエンスはネット民の声に耳をかさず、目の前の一歩が誰かの幸せにつながる行動を取っているのか?その対応は、今後も適切で永続的な取り組みとして残るのか?そこが問われているのではないか。自問自答する日々に正しいデータと根拠、学び続けることから導き出した解を信じることでコロナ禍は確実に乗り越えられる。

格差は広がり続け、リテラシーは分断された人間関係を構築する。レジリエンスの高い人たちの富を分配しなければ経済は確実に破綻する。

緊急事態宣言という言葉の価値が、いかがなものか?リテラシーとレジリエンスが数値として現れる。日本人は賢いのか?反射や反応ではなく、文脈をもった意見を集約し、前向きな議論が進むことこそが、今求められていると感じる。

ただ、それが伝わらないから世の中は難しい。

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