言葉の深度について

このnoteでは、本当の言葉を紡いでいこうと思う。

思えばツイッターが浸透してから、ろくすっぽ「言葉」と向き合ってこなかった。
頭にはいつも言葉が渦巻いている。そのなかで筋の通った考えが生まれると、それが本音であろうがなかろうが手癖のようにツイートしてしまう。
圧倒的に軽い言葉が、ツイッターという住処に安住する。そこで思考停止。

深みよりスピード。中身がスカスカでもなんとかなってしまうものだ。音楽をアルバムの曲順で聴かなくなり、欲しい情報の表層だけを掬い取って知った気になってる現代の風潮を、あんなに嫌っていたのに。

大学時代、俳句を作る授業で自分の発表のときに、俺は呼吸をするようにこう言った。
「作品は書き終わった時点で作者のもとを離れています。あとはどうぞご自由に解釈してください」
すると先生は言った。
「いや、君の俳句は内容がそこまで至ってないから」

確かに、そのときから俺は思考の切れ端を推敲もせずに書き散らかすようなことしかしていなかった。
当時発表した俳句を紹介しよう。

金玉を ポリポリ掻いて 気持ちいい

思考が人間を形作るとしたら、俺はなんて浅薄なんだろう。
熟成された味噌のような言葉を、ここでは皆様に味わって頂ければと思う。

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