十番歌 すべての人を大切にする「シラス」の国
十番歌
これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも あふ坂の関
蝉丸
現代語訳:
ここがあの、京の都から出て行く人も都へ帰る人も、
知っている人も知らない人も、
別れてはまた出会うことを繰り返すと言われる
逢坂の関なのですね。
*** *** *** ***
仏教では、「生者必滅、会者定離」といって、
生きる者は必ず死に、出会えば必ず別れが来る
と説かれています。
人は坂道を登るように苦しい人生を生き、
そこで出会って別れ、
別れてはまた出会うことを繰り返します。
しかも、その場所を「関所」に定めていることで、
現世における人生の「会者定離」という
「動き」を読んだものと解釈できます。
引用元:
蝉丸は盲目の琵琶の名手だったという説があります。
なので、彼には人の往来する姿は見えません。
この「逢坂の関」の起源は、大化改新の詔 (みことのり)
によって設けられたものと言われています。
前回の九番歌の記事にも書きましたが、
大化の改新によって起こった大きな変化は、
奴隷制(人口の5%位だったそうです)が完全になくなり、
すべての人々に姓氏が与えられ、
すべての民が、天皇の「おおみたから(大御宝)」
と明文化され、規定されました。
たった7世紀の時点で、日本では奴隷制度がなくなり
すべての民が、天皇にとっての「大いなる宝物」
として扱われるようになったのは、
世界でも類を見ない快挙です。
コチラの、私の過去記事をご参照ください。
ほんとに?私たちは宝物として扱われてきた!?
ヨーロッパでさえ、人が人の所有物でなくなったのは
19世紀以降です。
アメリカでは、「ブラック・ライブス・マター」運動が炸裂中で
未だに、人権を守れ!と抗議デモや暴動が全米で起こるほど
マイノリティーの人々は
見えないところで様々な圧迫を受けています。
日本では、千年以上も前に、
誰もが人として尊重されて生きることができる
そんな理想的な「シラス」の社会が生まれていたのです!
「でも、江戸時代には、士農工商えたひにん、
という身分制度があったじゃないか!」
とお思いでしょうか?
実は、それは身分で分けられていたのではなく、
単に「役割」を示していたものだった、と
認識が改められているのです。
江戸時代は、260年もの間、争いは一切起こらず
平和で、生活も教育レベルも高い、世界に誇れる時代でした。
私たちが習ってきた歴史は
表面的だっただけではなく、間違いだらけだったのです!
さて、本題に戻ります。
そんな、一人一人が「おおみたから」として
大切にされるようになり、その時に作られた逢坂の関での
人々の往来を、歌に描いているわけです。
対になる表現を重ねて、躍動感を持たせています。
出会いは、一期一会とも言いますが、
かけがえのないご縁がつながり、解かれ、繰り返されていく
そのように、行き交う人々それぞれの人生の会者定離の様が
目の見えない蝉丸には、とても喜ばしいこととして
心の眼に映っていたのでしょうね。
最後までお読みくださり、ありがとうございます!
これを読んだあなたが、
あたたかな光に包まれるような毎日を
送ることができますように。
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