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六番歌 和歌の読み取りで鍛える「ニュースを読む目」


六番歌 

鵲の 渡せる橋に 置く霜の
白きを見れば 夜ぞ更けにける

中納言家持


この歌の解釈のポイントを、ざっと書いてみます。

● カササギは、七夕のときに隊列を組んで天の川に箸を架け、
織姫と牽牛が年に一度逢う、という伝説に基づいて使われている。

● この歌が詠まれたのは、「白村江の戦い」で敗れた日本が、
国を一つにまとめようとしていた時代。

● その後、外圧に屈しない強い国を作り、
誰もが安心して暮らせる社会を築くために、
制を抜本改正するための、「大化の改新」が行われた。

● これを詠んだ大伴家持は、代々軍事を司る家系の高官。
今で言うなら、陸海空全軍の総司令官のような地位にあった人物。

● 彼は、国を守るためには、
自らの身を顧みることなく忠誠を尽くす、といったことを
他の歌(「海行かば」)に詠んでいる。

● そんな人物なので、時代の変革期にあった彼は、
任務や業務に忙殺され、毎晩夜遅くまで
仕事をしていたことが想像される。


家持が、仕事を終えて深夜外に出てみると、
宮中の階に霜が降りている。

夜空を見上げると、天空には美しい天の川が浮かんでいます。

冬でも、真夜中を過ぎる頃
空には夏の星空が現われるそうです。

カササギの隊列は、軍隊の行進にも似ています。

自分たちのことを、国を守るカササギ、
と重ねているようです。

つまり、国を守るために、日夜必死で働いている家持が
その心境を、美しい歌にして表した、と考えられます。


他の解釈では大体、この歌は、冬の夜空の美しさを表現した
ロマンチックな歌とされていています。

でも、この歌の読み手の名前を、「大伴家持」ではなく、
あえて「中納言家持」と、
軍事総司令官である役職名で記しているところに
この解釈があてはまるカギがある、というわけです。


小名木先生の歌の解釈を読んでいて思うのは、
一般的な解釈は、小名木先生ほど、詠み手の人物像や経歴、
時代背景、他の歌の配列や前後関係といったところまで
幅広く、かつ細かく読み込んでいません。

平安の貴族が詠んだ歌だからと、雅やかで、
美しい表現だけに心を砕いていて、
色恋の感情や、四季や自然の風情ばかりが
強調されているように思います。

「平安貴族とはこういうものだ」

という、「思い込み」がベースになってるんじゃないか、
と感じてしまうのです。


そして、日本の戦後はGHQ政策によって、
「愛国心」「国を守る」といった思想は

右翼だ!戦争賛美だ!、と批判され、
叩かれるような風潮へと操作されてしまいました。

そういったことも影響し、戦後世代の私たちには、
より歌の真意を読み取れなくなっているのではないか、
と私は思います。


もちろん誰にも、当時の歌人がどんな思いや
意図を込めて詠んだのかなんて、
正確に言い当てられる人なんていないので
解釈の正しさを求めるのは、あまり意味がありません。

でも、思い込みをはずして、
あらゆる手がかりを詳細に調べて、組み合わせていくことで
浮かび上がってくる歌人の思いを汲み取る、
という作業を経て書かれているこの解釈は、

今に暮らす私たちに、大いなる学びを得させてくれます。


日々報道されるニュースを、
私たちはどう受け取っているでしょうか。

あまり深く考えずに、
○○さんがこう言ってるから、こうに違いない。
世間ではこのニュースに対してこんな反応をしているから、
きっとそれが正しい。

そんな風に判断していないでしょうか。


自分の知らない、身近にいない人物のことを

「あの人はひどい」「この人は偉い」と

ニュースから流れてくる、ほんの少量の情報だけで
その人の歩んできた人生や、環境や状況といった
決して語られない、その人を取り巻く莫大な情報を
私たちは、知る由もありません。

または、そのニュースが報道されるまでに、
誰のどんな意図が入り込んで
世間にどんな印象を与えようとしているのか
ということも考慮することなく

ほんの断片だけを聞きかじって善悪を判断してしまう、
そんな愚かさに気付かされるのです。

私たちの善意、良心、良識に訴えかけて
何かしらの「行動」を煽り、それを政治利用する

そのようなことは、歴史上、
世界中の至るところで行われてきました。


「ある州で、貧しい者がしいたげられ、
権利と正義がかすめられるのを見ても、そのことに驚いてはならない。
その上役には、それを見張るもうひとりの上役がおり、
彼らよりももっと高い者たちもいる。」

伝道者の書5:8(旧約聖書)

この書を書いたソロモン王で、彼はその優れた知恵によって
当時のイスラエルの王となり、すべての栄華を極めつくし
晩年になって自分の人生を振り返って
悟ったことを綴っているのがこの書です。

この節を読むと、こんな紀元前の昔から
政治的事件の仕組みって、背後に色んな人物がいて、
重層的に関わっているんだな、ということがわかります。


最初の和歌の趣旨からは少し逸れますが、
数年前に読んだ、強く印象に残っている記事があるので
ちょっと紹介したいと思います。

これは、カトリック教会の神父である、
晴佐久昌英氏の説教を文字起こしした記事です。
彼は、多くのも出版されています。

彼の慈愛に満ちた、鋭く深い視点で聖書を読み解く
その人間性に惹かれて、以前よく読んでいました。

「私の正義が人を傷付ける」

より、以下に一部を抜粋します。

*************************

(セカイノオワリというロックバンドについてのお話です。)
。。。。
私、大ファンで、去年もライブに行ったんですけど、
今回の方がよかったなあ。
テーマがはっきりしていて、それを、ホントに
みんなに分かりやすいかたちで見せてくれて。
とても共感して、感動しました。
ああなるともう、ただのロックコンサートじゃないですね。

そのテーマは、ひと言でいえば、・・・何でしょう、
「争いや対立を超えて行こう」っていうようなことです。
「『私の考え、私の思い』と、『あなたの考え、あなたの思い』は違う。
でも、それをお互いに分かり合い、察し合って、一緒にやってこうよ」
っていう、そういうテーマです。

 コンサート全体に、ある物語が、ず~っと語られるんです。
ボーカルのFukaseが作った寓話なんですけどね。

・・・ある国に王様がいました。その国で、嵐が起こって
大勢の子どもたちが建物の下敷きになっちゃった。
だけど、王様がすぐに救助しなかったので、子どもたちは死んじゃった。
やがて、王様が国民の前に出て来た時、眠そうな顔をしていた。
何もしないで寝ていたに違いないと思った国民は怒って、
革命が起きて、王様は捕らえられ、
ギロチンで首を切られてしまいましたとさ。

そんなお話なんですよ。

中略

・・・実は、その王様は、その子どもたちを助けようと、
本当に必死に働いていた。
でも、さまざまな不運な理由があって、うまくいかなかった。
ベストを尽くして寝ずに頑張ったけど、
結局助けることができなかった。

みんなの前に出てきたときは、徹夜だったから、
眠そうな目をして出て来た。でも国民は、王様の真実を知らずに、
一方的に裁いて、ギロチンで首を切ってしまいましたとさ。
王様は、最後に涙をこぼしましたとさ。

とまあ、同じお話を、別の視点から、
後半、語り直したんですよ。

ぼくらも、いつもね、「あいつは悪いやつだ」とか、
「こいつさえいなければ」とか、一方的に決めつけて、
自分たちの小さな貧しい頭でね、たいして知りもしないのに、
みんなで声を合わせて、「あいつのせいだ! やっつけろ!」
みたいなことやっちゃうじゃないですか。
でも、これがやっぱり、今の時代の一番の恐ろしさだし、
神の国から一番遠いあり方なんじゃないですか?

*************************


この後に続く話もすごく良いので、
ぜひともこちらより全文を読んでみてください。


画像1


良心や、正義感に駆られてやったことが
実は罪のない誰かを傷つけてしまう。

良心や、正義感に駆られてやったことが
実は、物事を裏で操る悪質な組織に利用されて
悪に加担する結果になってしまう。

***

この本の解説によく出てくるフレーズは、


「一般的に、こういう解釈で通っています。
でも、本当にそうなのでしょうか。


何かの情報を得たときは、いつでも
世間の反応に流されず、こう問いかけてみることが
とても大切だと思うのです。

一つの意見や見方に偏ることなく、
受け入れがたい情報であっても
色んな情報を、色んな角度から見てみること。

それが、知らずに誰かを傷つけてしまうことや
後悔してしまうような行動を防ぐことにつながる。


でも、本当にそうなのでしょうか?


と、改めて、自分がしている物事の判断に
気をつけたいと思いました。


最後までお読みくださり、ありがとうございます!

これを読んでくださったあなたが、
あたたかな光に包まれて、
毎日を送ることができますように。



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