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捉え方を変えると、楽しくなる③

それまで、「家事」は、わたしにとって、
重要度の低い、緊急度はそこそこのものと捉えていた。

だから、わたしじゃない人に任せようと、
3種の神器も揃えた。

わたしが、歌を歌いながらお皿を洗った日、家事が楽しくなった。

そして、重要度が高くなった。
それから、不思議なことに緊急度が低くなった。

家事の重要度

それまでは、
家事は生活していくためにやらなくてはいけないけど、
生活を整える以上に意味はなく、
ゆえに重要度は高くないと捉えていた。

歌いながらお皿を洗った日、
お皿を洗っている母に関心を持って、
そばにやって来た娘。

「美味しいごはんを食べたら、
お皿をキレイに洗うんだよ。
だけど、お母さんは、
お皿洗いが苦手で本当はしたくないの。
したくないことをやるのは大変。
だけど、こうやって歌を歌いながらやると楽しいよね。」

これだけで、娘にたくさんのことを伝えることができる。

美味しいことが終わったら、
やらないといけないことがあること。

自分ではやれないけど、
誰かがやってくれていること。

それは、結構大変そうだということ。

お母さんは、なんでもできる人ではなくて、
苦手なこともあること。

したくないことも、楽しくできること。

それに、子どもと一緒にやると少し楽しくできる。
そうでない日もあるけど。
そんな日は、
「きょうはお母さん一緒じゃない方がいいから、
あっちで遊んでてね」と言えば、
「一緒にやりたかったのにー。」と言うから、
「一緒にやりたかったね。」と気持ちを受け取ってあげると、
「一緒にやりたかったの。」と言いながら、
気持ちを収めて、
あっちに遊びに行ってくれる。

家事を通して、そんな対話もできるようになったから、
あまり焦らなくなった。

そういうわけで、
家事を通して、
子どもたちにいろいろなことを教えてあげられるし、
対話もできる。
それに何より、家事は、
わたしの「家庭を安全にくつろげる場所にしたい」を叶えるために、
欠かせないことだと気づく。

家事の重要度がぐっと上がった。

家事の緊急度

不思議なことに、
家事の重要度が高くなってから、
本当にできない日は、やめてもいいとも思えるようになった。

緊急度が下がったのだ。
家事が重要な理由が明確になったから。
子どもたちに大切なことを教えるツールだったり、
対話のきっかけになる大切なもの。
家事をすることで大切さが損なわれるなら
(家事をすることでイライラしたり、
焦ったりする状況なら)
いっそ、しない選択をする。

お皿洗いができない日は、
環境には良くないのかもしれないけど、
使い捨ての容器を使って
お弁当にしておく。
朝作っておくと、
夜帰ってきたらいただくだけになっているところも良い。

洗濯もする時間がない時には、
明日に回してしまおう。
あまり物を持たないようにしているので、
洗濯をやらないと着るものがなくなってしまうから、
洗濯はあまりサボれないけど。


そういうわけで、わたしの中で
家事の重要度は上がり、緊急度は下がったのだ。

毎日、緊急ではないけれど、
重要なことができていると
なんだか生活が豊かになる。
追われずに大切なことをしているという実感があるから。


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