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大人にとって、コロナ対策の緩和は日常を取り戻すことなんだけど、3歳の娘にとっては、はじめてのできごとだった。

今年度から、コロナ感染対策が緩和された娘の保育園。
3年以上、直接教室に送り迎えできず、
玄関でのお別れが習慣になっていましたが、
今年度から、教室のそばまで送り迎えができるようになった。

今日は久しぶりに娘の教室まで一緒に向かう。
以前、長男が通っていた時以来の教室への送り迎えで、
朝の保育園の賑やかな様子、
担任の先生と直接おはなしできたり、
おともだちが駆け寄ってきてくれたり、
保育園の空気感を久しぶりに感じた朝。
この3年間は、
送迎担当の先生が玄関で対応してくださり、
教室での娘の様子を見ることはできなかった。

わたしのわくわくとは裏腹に、
娘は、不安そうな顔。

そういえば、教室の前でわたしとお別れするのは
娘にとって初めてのできごと。
普段と違うことは、
娘にとって、
予測がつかない不安でいっぱいだっただろう。
事前に、今日はお教室でお別れだけど、
いつも通り保育園で過ごして、
お迎えにくるよと教えておけばよかった。

いつもと違って心配だったんだねと
伝えるけど、娘の踏ん切りはつかない。
しかし、保育士さんはプロ。
娘が楽しみにしている遠足の話題で、
娘を教室に連れた出してくれた。

わたしは、3年前の日常を知っていて、
それを取り戻した感慨しか感じていなかったけれど、
娘は、コロナ禍に生まれ育ったので、
ビフォアコロナを知らない。

今までの世界は、
お店の前で
手にアルコールを吹き付けたりしなくて良かったことを知らない。

マスクを外した大人の顔を知らない。

お母さんに、抱っこされたい時、
コロナついてる?って聞かなくていいって知らない。
(勤務先で、クラスターが発生した時、
コロナ患者さんを直接ケアしていたので、
娘をお迎えに行って、お風呂で洗い流すまで、
「お母さんには目に見えないコロナがついているから、
触ったらダメだよ。抱っこはお風呂のあとね。」と教えていた。)

大人にとっては色々と面倒なことが
娘にとっては、当たり前のことなのだ。

このこと自体は、幸か不幸かなんて思わないけど、
娘は、自分と違う常識の中で生きてきたこということは
理解しておかないといけないなと思った朝でした。



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