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「生きづらさ」を越えて。

私は研究を通して、若者の生きづらさと向き合っている。生きづらさにそっと寄り添って、その人がありのままで生きられる社会を作りたい。

「若者の」と言うより、「私の」生きづらさと言ったほうが正しいかもしれない。一当事者として、自身が感じてきた生きづらさ。その正体を知りたい。もしできるなら、今生きている人、これから生まれてくる人が、その生きづらさを感じなくて済むようにできたらいいな。そんな気持ちで、日々取り組んでいる。

じゃあ、私の感じてきた“生きづらさ”って何なんだろう。ここで少し言葉にしてみたい。

思い返せば、小さい頃から「女だから」と決めつけられるのが嫌だった。中高生の時、テストの点数でランク付けされることに違和感を覚えた。頭ごなしの校則も好きじゃなかった。就活の時、本に乗っている「お手本」像に自分を近づけることに、心も体も疲れていった....

一つの物差しでその人の価値が決められてしまうこと。誰かが決めた「標準」の枠の中に押し込められてしまうこと。

こんな風に表現できるだろうか。

逆に言えば、一人ひとりが違って、その個性が何よりも素晴らしい。根底にはそんな気持ちが強くあって、だからその人がその人らしく居られるように、生きる選択肢を広げたい。そしてこれは、私がデンマークという国に惹かれる一つの理由でもある。

生きていてなんとなく感じるモヤモヤ。生きづらさ。

一見ネガティブに思えたり、どこかちょっと無責任な響きさえする。

でも、その生きづらさと勇気を持って向き合ってみると、自分の本当に大切にしたいことが見えてくるかもしれない。時として、それが生きる原動力にさえなり得るかもしれない。

ある社会学の先生が「社会問題があるのはいいこと。それは改善の余地があることだから。問題が問題として認識されなければ、改善することすらできない。」と言っていた。

だから私はこれからも、「私の」生きづらさを大切に、「誰かの」生きづらさに寄り添って、「私たちの」生きづらさを越えていきたい。

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