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「誰として」フィールドに身を置くのか。

調査者の人種、性別、見た目、職業などのさまざまな属性は、自分が認識している以上に、フィールドワークに大きな影響を与えているものです(丸山 2023: 67)。

岸政彦・石岡丈昇・丸山里美(2023)『質的社会調査の方法ー他者の合理性の理解社会学』有斐閣

デンマークでフィールド調査を始めてから、上記のことを身をもって体験している。私は「(一応まだ)若者」であり「女性」。今は海外にいるので「外国人」であり「日本人」である。

今まではあまり意識していなかったのだけど、これらの属性が思っている以上に、フィールド先の人々との関係性に影響している。

特に苦労しているのが、調査対象者である若者との関係性。今回は傍観者としてというよりも、参加者として活動に参加しながら調査を進めている。個人的にそれがその場に居させてもらう上での礼儀だと思うし、その方が関係性も築きやすい。ただ私も一人の「若者」であるため、仲良くなろうと思えばどこまででもなれてしまう。

先日、私がある相手との距離感を誤り、友達としては普通だけど、研究者としては少し行きすぎかなと思う出来事があった。その時、私は少し距離を置くという行動をとってしまい、それが返って相手に不快感を与えてしまった。

現場のスタッフの人に相談すると「行動で示すのではなく、しっかりと説明をすることが大切。『私は研究者として来ているので○○は出来て、△△は出来ない。そして、あなたに原因があるのではなく、あくまでも私のポジションのせいだから』と説明したら、分かってもらえるよ」とアドバイスをもらった。

友達と研究者。プライベートと仕事。どこで線引きをするかは相手ではなく私がしっかりと判断して行動するべきこと。それを曖昧にして、相手に委ねるのは無責任だし、関係性を悪くするだけ。今回は単に私の行動が悪かったということなのだけど、自身も「若者」である以上はそのことを尚更意識すべきだと痛感した。

また、私は相手にとって「外国人」である。普段の関わりにしても、インタビューにしても、「外国人」だからこそ、普段とは違う態度や表現を示すこともあるだろうし、一方で「外国人」だからこそ、話してくれることもきっとあるのだと思う。私が反対の立場でも、意識的・無意識的にそうなるだろうと想像する。

そして、「日本人」であるということ。これも重要な属性になる。中には私が人生で初めて会った日本人という人も居て、それくらいデンマークではある意味で貴重な存在になる。

「日本人」であるおかげで、特に日本文化に興味がある人とは話が広がり、関係性が築きやすい。有難いなと思う一方で、相手が日本を好きすぎるあまり、質問攻めにあったり、距離をぐっと縮めて来られたり。反対の立場だったらそうなるのもよく分かるのだけど、ちょっと困ってしまうこともある。

そんなこんなで、自身の属性がフィールド先の人々との関係性に与える影響を日々実感している。きっと私が「大人のデンマーク人男性」だったら、まったく違う関係性になっているだろうし、それによって調査結果も違うものになるだろう。

ただ自分の属性をネガティブに捉える必要はなくて、それをしっかりと自覚し、うまく利用しながら、相手との距離感を見定めて調整することが重要なのだと思う。

分野にも寄るけれど、一般的に研究者ってあまり人と関わることなく、個人プレーな印象が持たれているかもしれない。でも実はフィールド先にしろ、同僚にしろ、学会での人間関係にしろ、他の多くの仕事と同じように人との関わりがとても重要で。特にフィールド先での人間関係には、今回のように高度な調整スキルも必要になる。

これは私が最も苦手とするところ… 本音を言えば逃げたい気持ちも山々なのだけど。今後もこの仕事を続けたいのであれば、向き合っていかなくてはならないところだなと、まさに今奮闘している。

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