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#003 第二章 アジト

#統一協会 #カルト #入信 #脱会 #体験手記 #やま
#山下ユキヒサ


ボクの20代の数年間はカルトの記憶でした。

「カルトの記憶」は、

ボクの統一協会入信から脱会までの体験手記です。

ボクはこの世界で生きる意味を与えられ、

仲間たちと共に毎日夜中まで活動に明け暮れました。

そこには、説明の要らないような青春のきらめきも確かにありました。

そして、もう一つ確かなことは、

落ちても落ちたことに気づかないような、

マインド・コントロールという〈落とし穴〉に、

ボクらはしっかりとはまり込んでいたのです。

 

カルトの記憶/目次
 
プロローグ

第一章 ブンブン

★★★ 第二章 アジト

第三章 学生たち

第四章 チャーチの人々

第五章 三軒茶屋

第六章 特急ロマンスカー

第七章 出口

エピローグ

主要参考文献
        

カルトの記憶


第 二 章  アジト


 えっ、なにっ?

 ゲ・ン・リ…けんきゅうかい…だって?


新入生勧誘でわき立つキャンパス。

「新入生歓迎!」「来たれ!」「求む!」の文字が、手作り看板の中でおどっている。

〈A・G・U〉というアルファベットの頭文字が、スタジアム・ジャンパーの胸や背中に張り付いている。そんなスタジャンを着込んだ学生たちは、新入生の呼び込みに夢中だ。

キャンパスのメイン・ストリート、いちょう並木の歩道は、お祭り騒ぎで浮かれに浮かれている。学生たちはそれぞれの趣向をこらし、各々のクラブやサークルのユニフォーム姿で大声を張り上げている。

淡いピンクのテニスウェアに身を包んだ女子学生たちに見とれていると、「押忍、押忍」を連呼する空手道部の、少し怖そうな兄ちゃんたちが何やら演武を始めた。

さっき見た光景を反芻していた。

正門を入るとまず目に飛び込んできたものがあった。それは見上げるほど大きな立て看板。三メートル×四メートルか、実際にはそれ以上のサイズだったのかもしれない。裏につい立が施されたそれは、まるで巨大な写真立てを思わせた。

 タテカンには「原研を追放せよ!」「学生の敵!」「許すな!」という容赦のない言葉が並んでいた。黒々としたそのどれもが荒々しい筆跡で、今にも看板を突き破り飛び出してきそうだった。

「原研」というのは「原理研究会」のことであり、それはある宗教団体の学生組織であると説明されていた。看板はそんな彼らの活動を激しく糾弾するものだった。

原研メンバーをつるしあげる「反原理」と名乗る学生たちの主張。両者の間にはどんな軋轢(あつれき)があるのだろう。

もの言わぬ看板に書きなぐられたののしりの言葉。それは〈!〉であり、また〈!!〉であった。言葉の暴力性に少し心がきしんだ。


「春はテニス、夏はサーフィン、冬はスキーのサークル○○でーす」

女子学生の伸びやかな声でハッと我に返った。

重なり合って飛び交う呼び込みの声。その中から僕の耳はまるで本能でもあるかのように、女子学生の黄色い声を選び取っていた。

ここには、この場所には、このタテカン一つを削除すれば、どこを眺めても切り取っても、晴れやかでめでたい光景が満ち満ちていた。

そんなふかふかの世界に、硬く、激しく、誰かが誰かをののしるようなタテカンの存在は異質だった。

そんなことにはお構いなく、春はきらめき、香り、そしてトクトクとときめいていた。


 *


八〇年四月。

僕は渋谷にある、某大学の第二部に入学した。

この大学の教育方針は

「キリスト教信仰にもとづく教育をめざし、神の前に真実に生き、真理を謙虚に追求し 愛と奉仕の精神をもってすべての人と社会とに対する責任を 進んで果たす人間の形成を目的とする」

大学の歴史をひも解いてみると、明治の初頭、外国人によって蒔かれた三つの〈種〉の話が記されている。その種は異国で芽を吹き、実り、花を咲かせたという。

これは神を信じた人間の、伝えようとする強い意志と情熱、信念と忍耐によって持ち運ばれた種の話である。ここでいう種とは、キリスト教の世界でいう〈福音〉のことだ。

福音とはつまり、聖書に記された神の言葉であり、その聖書には〈キリスト・イエスによる罪からの解放〉が記されている。

この福音を海外に伝えるのが宣教師と呼ばれる人々だ。

宣教師は家族や友人たちから遠く離れ、言葉や文化の異なる外国に福音を運び、その異国の地に神の言葉の種をまく人々のことである。

そんな宣教師たちによってまかれた種は世界中に広がってきた。そしてこの大学も、そのような種が芽を吹き開学された大学なのだった。

と、まあ…なんだ。

この大学を受験するとき、そんな種の話など知る由もなかった。

ただ寮生活をしていた高校時代にこんなことがあった。校内である講演会が開かれたのだ。それは県内にある某キリスト教団体からの申し入れを、学校側が承諾して実現したものだった。

講演自体は残念ながら期待はずれだった。それは話が詰まらなかったのではなく、演題に対する僕の期待の方が強すぎたのだろう。そのタイトルは「私は神様を見た」。

講演後、その団体からは全校生徒に聖書が一冊ずつ贈られた。その団体にとってそのような活動が、〈福音の種まき〉だったのだろう。

寮の部屋に戻り、黒い表紙の厚い本をさっそく開いてみた。

パラパラとめくった頁から拾い読むと、いくつもの不思議な言葉が目にとまった。そう、これが聖書との初めての出会いだった。


青山通りに面して広がるキャンパス。

喧騒を逃れ、正門からメイン・ストリートを奥へ進むと、やがて右側に十字架を掲げた建物が目に入る。それがチャペル(礼拝堂)だ。

たしか、前期の講義が始まってすぐのことだったと思う。夜学生のための「新入生歓迎礼拝」があった。礼拝堂に足を踏み入れることなど初めてだ。入口では数人の先輩たちがにこやかに新入生を招き入れている。

間接照明を配した厳かな礼拝堂。どのあたりにしようかと迷いながら、あまり前方でも後方でもない場所に腰を下ろす。ほの暗く天井の高い礼拝堂。壇上正面の壁にすえられた十字架。礼拝堂の雰囲気は普段教室に漂う空気とは根本的に違った。

司会者が告げる「ではみなさんお立ちくださり、賛美歌の○○番をもって主を賛美しましょう」。

この場の雰囲気に臆した新入生は、ぎこちなく立ち上がる。自分を含めたほとんどの学生にとって、賛美歌を手にとることなど初めてだろう。

だが、始まってみると、その賛美歌はどこか聞き覚えのあるものだった。この場を満たすこの旋律は、うん、わるくない。

やがて説教者が登壇すると、十字架にはりつけにされたキリストが語りだされた。
厳かに、あくまでも厳かに、牧師は二千年前に生きたイエスという男の死と、その蘇りについて語った。

熱っぽく語る説教者の思いとは裏腹に、そんな現実離れした話はピンとこなかった。

説教が終わると牧師は両手を挙げ、参列者に祈りを捧げる。

言われるまま目を閉じた。牧師の豊かなバリトンはまるで潮がゆっくりと満ちていくように、礼拝堂の隅から隅をひたひたと満たしていった。

牧師は新入生であるわれわれの健康を祈り、この大学での学業を全うすることを祈り、そして学生ひとりひとりの人生に神の祝福があるようにと祈った。

誰かにこんなふうに祈られたことなど初めてだなと感じているうちに、静かな感動が胸を打つ。いつの間にか牧師が祈るひとことひとことが深く心に沁み、とても穏やかで満ち足りた気分になった。

席を立ってチャペルを後にしても、胸に満ちた潮のぬくもりは、しばらく引くことはなかった。


 *


あっという間に数週間が過ぎた。そんなある日のことだ。

あと五分もすれば講義の始まりを告げるチャイムが鳴る、そんなタイミングだった。教室内はまだざわついている。教室の前方のドアが開き誰かが入ってきた。

誰もが教授かと思って向けた視線は、それが見慣れない学生だと分かると、怪訝そうなものに変化した。

「みなさんこんばんは。僕は経済学部の○○といいます。突然ですが、みなさんにお伝えしたいことがありますので、少し話をきいて下さい。…えー、学内で皆さんのような新入生に声を掛け、『聖書研究会』というサークル名で勧誘しようとする学生たちがいます。

彼らは『原理研究会』という団体の学生です。
原理研究会というのは『統一協会』という宗教団体の学生組織のことです。

彼らは青年のアンケートだと言って名前や住所、電話番号などを執拗にきき出そうとします。でも絶対に教えてはいけません。一度教えてしまったら、その後しつこく電話をかけてきたり訪問されたりします。

彼らの目的は勧誘です。ですからくれぐれも気を付けて下さい。…以上です。ありがとうございました。じゃ、講義ガンバッテ下さい」。

そう云い残すと彼は教室を出ていった。

はは~ん、この前の看板を作ったのは、この人たちなんだ…。

頭の中の暗い部屋に、パッと灯りが点った。

新入生にこうして注意喚起して回る。なんて気のいい先輩なんだろう。その日から二週間ぐらいの間に三、四回、それぞれ別の男子学生が教室を訪れた。そして最初の注意喚起と同じ内容を繰り返していった。

しかし、そのような警告を重ねて聞かされるうち、心の奥では反発も感じるようになっていた。

誰かと話しをするのもしないのも、住所や電話番号を教えるのも教えないのも、そんなこと誰にも指図されたくない、反発とはそのような思いだった。しかし、彼らに対して強い拒否感があったわけではない。

彼らの呼びかけは、後輩の我々に何らかの危険予測を促すものなのだ。しかし一方で、彼らの発する警告の一つ一つが、逆に僕の好奇心を少なからず刺激していた。彼らの意向には反したが、原理の学生たちになんとなく興味を持ち始めてしまった。

それからは怖いもの見たさという心理も手伝って、彼らに一度会ってみたいと思うようになっていた。しかし一体どこに行けば原理研究会のメンバーと接触できるのか、分かるはずもなかった。

だからといって反原理の学生たちに、どうすれば会うことができますか、などときくわけにもいかない。そんなことをしようものなら返ってくる言葉は決まっている。


なに言ってんだよ、とんでもない…

君は奴らの恐ろしさを知らないからそんな呑気な…

原理の奴ら、君を仲間に引きずり込もうとどれほど執拗に…

興味本位で近付けば、ミイラ取りがミイラに…


あの看板の勢いから想像すれば、彼らは彼らの威信を賭け僕を引き止めにかかるだろう。
悶々とした思いを内側に抱えながら、それからすこしばかり日を過ごすことになる。


 *


季節は風薫る五月を迎えた。

早目に大学に来ていた僕は、購買会をひとまわりしてノートやペンなどの文具と共に、一冊の文庫本を手にしていた。

早く目を通したいという思いが、近くのベンチに腰を下ろさせた。活字に目を落とすと、柔らかい風がページの端を撫でていく。
午後二時の陽差しが紙面に反射し、まぶしさに目を細める。ああ、なんて気持ちがいいんだろう。

春はあちこちを気ままに闊歩している。足もとのこの舗装を一枚めくれば、春はきっとそこでもうごめいているにちがいない。

うららかな春の午後は、ゆっくりとたおやかに流れていく。このままこのベンチに座り続けるなら、僕は一時間もしないうちに溶けてなくなってしまうかもしれない。

しょぼついた目を活字から離すと、視線を遠くへ飛ばした。そして、キャンパスを行き交う学生たちの姿をぼんやりと眺めるともなく眺めていたときだった。

うんっ?

曖昧な視線の端に絡んでくる誰かの視線。

なんだっ?オレにか…?

視線と視線が結ばれると、二人の男子学生の姿が浮かび上がる。
好意的で、実に感じのいい笑顔だった。

二人の笑みが一歩一歩確かに近付いてくる。しかし、二人の顔に見覚えなどなかった。見知らぬ二人からこんな親密な笑顔を向けられていることに、少し身構えた。


しかし次の瞬間。ひょっとして…という思いが静かに弾けた。
二人は僕の座るベンチの前まで来ると足を止め、声をかけてきた。

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