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#008第七章 出口

#カルト #統一協会 #入信 #脱会 #体験手記   #やま
#山下ユキヒサ

 

カルトの記憶/目次
 
プロローグ

第一章 ブンブン

第二章 アジト

第三章 学生たち

第四章 チャーチの人々

第五章 三軒茶屋

第六章 特急ロマンスカー

★★★第七章 出口

エピローグ

主要参考文献
        

カルトの記憶


【 出 口 



西武新宿線・花小金井駅。

はじめて降り立つ駅だった。

この駅から徒歩で十五分程のところに目指す事務所はあるという。駅前通りを右折し次にT字路を左に折れる。

まもなく小さな郵便局が現れ、それを過ぎると舗道の脇に高いブロック塀が続いた。そしてその塀より何倍も高く防護用らしい緑色のネットが張られている。どうやら塀の向こう側にはグラウンドがあるらしい。

「さあー、いこーぜ、いこーぜー」

張り上げた声が重なり合い、塀を越えて降ってくる。これから一体どうなるのか。
先行きが見えず不安を抱えた自分には、なんだかその威勢のいい掛け声が少し耳障りだった。

やがて正門が現れ、白い校舎が見えた。

口数の少ない僕を気遣ってか中尾さんが声をかけてきた。その言葉に促されて校門の学校名を目で追うと、拓○大学の付属高校だった。(現在は移転)

正門に近づき遠慮がちに校内を見渡すと、グラウンドでは野球部員たちが懸命にボールを追いかけている。

あの声は彼らのものだった。張り上げる伸びやかな声と、カキーンという小気味よい金属音が夏の空に吸いこまれていく。

そうか、彼らは高校球児なんだ。

打ち、走り、盗る。
追いかけ、捕球し、投げる。

きっと彼らは目指した場所に向かい、いま心をひとつにしているのだろう。自分たちのワンプレイ、ワンプレイが最高の結果を生み出すようにお互いに声を掛け合う。

つよい陽射しを弾き返すようなスイング。どんな打球にも喰らいつき、ひたすらボールを追いかける姿がまぶしかった。

この日差しも暑さなどものともしない動きは、まるでこの太陽の熱量を動力源にするしなやかな生き物のようだ。

ふと、自分の高校時代に思いを馳せた。自分も彼らと同じように、ひたすら汗を流し目指した大会があった。

ほんの数年前のことなのに、遥か遠くに感じるのはなぜだろう。彼らの姿の中に以前の自分を見つけ出すと、さっきまでの思いとは裏腹に、ある感情がふくらんできた。

正門から離れ学校から遠ざかるにつれ、彼らの声はだんだんと小さくなった。やがてとうとうそれも耳に届かなくなると、再びその声が胸に蘇ってきたのだ。

いつのまにか僕は、彼らの声を自分への励ましのように訊いていた。

さあ、いこーぜ、いこーぜ。

胸の深いところから響いてきたその声は、くりかえしくりかえし体中にこだました。

あと一週間ほどで八月に入ろうかという午後の陽射しは、僕らの背中を容赦なく照りつけていた。

しばらく歩く。

やがて牧師がここですと指し示した建物は、住宅地にある何の変哲もない一軒家だった。

入り口の脇に車一台がやっと駐車できるスペースがある。この二階建ての建物が、エクレシア会の事務局だという。

牧師が玄関ドアを開け奥へ声を掛けた。ハーイという明るい返事とともに、にこやかな婦人が現れた。

「よくいらっしゃいました」と温かい笑顔で迎えられる。牧師は家内ですと紹介した。

「山下と言います。先生には大変お世話になりました」なんて、大人の挨拶を返した。ここは牧師一家の住居も兼ねているという。


二階に通され寛ぐ。

ひと心地つくと、今後のことをどうするかを話し合った。気になるのはやはり修練会の件だ。

明後日には名古屋の研修所に向けて出発する予定になっていたから、とにかく参加出来ないという意思は早く伝えたかった。

このまま何の連絡もしないというわけにもいかない。このような状況にはなっていたが、責任者や仲間たちに無責任な行動で心配はかけたくなかった。

とにかく活動を一時中断し、自分の時間を作り出すということが最優先すべき課題だった。

もしこの教えが真理ではなく、文鮮明氏がメシアでないとすれば、僕の人生にとっても霊の子にとっても、また仲間の人生にとっても大変な事になる。だから、立ち止まってよく考えたいと思った。

視野狭窄(きょうさく)になるぐらい突っ走ってきた。僕だけじゃない、仲間のみんなだって同じだろう。

客観的に組織を眺め、教義を見直すことが最優先事項だと思い始めていた。だが内部にいる限りそれは難しい話だ。

このときの僕は、もちろん統一協会を辞めようと思っていたわけではない。ただ望みは、じっくりと思索できる時間と場所の確保だった。

そんな思いになったきっかけは、やはり第一には和賀牧師との出会いと学びがあり、また元統一協会員の生の話が聴けたことも大きかった。

修練会に出られないという連絡は電話で伝えるのが一番手っ取り早い。そんなことはわかりきっている。

しかしそうすれば僕の居場所を上司は執拗に詮索するだろう。そこで和賀牧師の事務所などと答えようものなら、「山下さんが監禁された!」と勝手に思い込み、騒ぎになりかねない。

場合によっては大挙してこの静かな住宅地に押しかけて来るともかぎらない。そんなことにでもなればこの近隣にも大変な迷惑がかかる。

曖昧な返事で煙に巻いたり、嘘などもちろんつきたくはなかった。

牧師からも「嘘はつかないほうがいいですよ。統一協会が嘘をつくからといってこちらも嘘をつけば相手と同じになってしまいます」そう言われていた。
その通りだ。

普通そこまでやらないだろうという想定の範囲を、はるかに逸脱して行動する集団だ。何が起こってもおかしくはない。

いろいろ話し合った末、それならいっそのこと本人が直接出向いてありのままを話したほうが一番いいのではないか、そのような結論に至った。

話しが決まると牧師の動きは早かった。

じゃ、今から車で出かけましょう、という一言で僕と中尾さんは腰を上げた。

やっと事務局まで辿り着いたと思ったらまた出かけることになった。

牧師の運転するワゴンに乗り込み、三人は小平から世田谷の三軒茶屋へと向かった。

途中、夕食を摂りながら最終的な打ち合わせ。頃合のいい時刻を見計らって時間を調整し、三茶に着いたのは午後九時だった。

皆が集まるホームは世田谷通りから一本奥まったところにある。ホーム前の道は一方通行で車一台がやっと通れるような細い路地だ。

車は目立たないように、ホームから少し離れた空き地に駐車することにした。そして、僕はホームへ一人向かった。

緊張は極に達していた。 

責任者はいるだろうか。

いたらいたで今までの流れを要領よく説明することが出来るだろうか。

あの和賀真也に会ったって言うんだぜ。

責任者は何て言うだろう。

不安と緊張できれぎれになる思考に浮かんできたのは、「さあ、いこーぜ、いこーぜ」というあの声と、泥にまみれたユニフォーム姿の彼らだった。

 

今回の件をまず誰に切り出すかは思い決めていた。

この世田谷教会の実質的指導者、支部長の重森さんだ。

そこには、長らく教会を指導してきた教会長がつい最近人事異動となり、新しい教会長を迎えて間もないという事情があった。

新任の教会長夫妻と我々はつい数週間前に初めて顔を合わせたばかりだった。

二番手の重森支部長は四十代半ばの女性。人望は厚かった。大学生が主流のこのホームを、母のように優しく包み、またあるときには父のように叱った。
そんなめりはりのある指導で、この地区を取りまとめていた。

あるとき支部長が独身だということを、仲間内の他愛ない雑談の中で知った。

それを訊いたとき僕は意外に思った。それも、今まで二度か三度か祝福(合同結婚式)に参加しながら、文先生からは相手を選ばれなかったと訊くに付け、意外な思いはやがて納得できない苛立ちに変わっていた。

あんな素晴らしい人がどうして…。そのとき僕は、そのことを告げた仲間に幾分食ってかかるような、強い口調になっていたのかもしれない。

その彼も僕の納得できない思いには同意しながらも、わからないとしか答えることはできなかった。

割り切れない思いを残したまま、会話はそこで途切れ、お互いに押し黙った。

そんなやりとりが以前にあった。

支部長は片足が少し不自由で、移動には杖の助けを借りていた。世間の古い考えでは、そのようなことも結婚の障害になることがある。

しかしここは神の愛を説く世界の、その集団内の結婚なのだ。そんなことは何の障害にも問題にもならないはずじゃないか。

ホームに入ると支部長の姿を探し声を掛けた。

「支部長、今戻りました。それで、ちょっとお話ししたいことがあるんですが…お時間もらってもいいですか」

「あら山下さん、お帰りなさい。それじゃ、三階の和室で話しましょう。でも、ちょっと用があるので先に行って待っていて下さい。十分位したら行けると思うから」

支部長からすればその話の内容とは、箱根での親族会議の報告だと思ったはずだ。確かにそれはそうだったが、話の結末には支部長も仰天するような内容が待ちうけている。

三階の六畳間に上がった。

この部屋に立ち入ることは確か一、二度しかなかった。

だが利用するのは初めてのことだった。

普段この部屋がどのような使われ方をしているのかも知らなかった。

改めて部屋をぐるりと見回してみる。家具も少なく殺風景な空間だ。しんとした部屋で一人ポツンと待っていると、自分の心臓の鼓動まで訊こえてきそうだった。

これから語りださなければならない言葉をあれこれ探した。それらを並べてつなぎ合わせていると、緊張の波があっという間にさらっていく。

組み立てられた文脈は波にもまれバラバラとなり、泡のように消えてなくなる。さっきからそんなことを何度も繰り返していた。

言い置いた通りの時間に支部長はやってきた。

「お待たせしました。まあ、大変でしたね。それでお母様の様子はどうだったの」

とても柔らかな声だった。

「はい、ありがとうございます。割合元気でした。これから病院で精密検査を受けるということでした。

その結果が出るまでは、胸のしこりについてはっきりしたことはまだ何も言えないんですが」それから箱根の親族会議のことをかい摘まんで話した。

支部長がどんな反応を示すのか心配だったが、思い切って和賀牧師や脱会者たちに会ったことなどを伝えた。

和賀真也に会ったと打ち明けたときにはさすがに一瞬顔が曇った。しかし、支部長はそんな驚きを言葉にすることなく黙って聴いていた。

そんな平静さを意外に思ったが、考えてみれば伝えている本人が目の前にいる。

和賀牧師に会ったがそれを振り切って戻ってきた。そう解釈したのだろう。

ほんの一ヶ月前にはこんなことがあった。
沖縄出身のK兄弟が帰省した。そして和賀牧師に会っていた。彼は牧師に会うには会ったが話もそこそこに戻って来たという。

和賀牧師に取り合わなかったその兄弟のことを、支部長は褒めちぎって僕らに報告した。

その報告を僕も聞いていたのだ。そんなことがあったので、支部長はまたかと思うだけで安心していたのかもしれない。

報告だけで終わる、と支部長は踏んでいたのだろう。

しかし仰天するような内容を僕はとうとう切り出した。

「それで…あの…和賀牧師と会っていろいろ話しをしました。それでいろいろと考えなければならないことが出てきてしまって…牧師から聖書と原理(教理)の内容が食い違っていることを示されました。

自分でもいくつか確認もしましたが、聖書と原理講論の内容が違っているんです。

…だから、これから聖書をじっくりと学ぶ時間を取りたいと…そう思いました。…ですから明後日からの二十一修にはとても参加できるような気持ちではなくなってしまったので…取りやめにしてもらいたいと…そう思っています」

重い口をやっと開いて言葉にした。支部長の表情がみるみる険しくなっていくのがわかった。

「参加を取りやめてどうするつもりなの」

「聖書を学びたいと思っています」

「いったい何処で聖書を学ぶつもりなの」

「和賀牧師のところで…牧師の事務所で…」

「和賀真也のところッ!」

突然声を張り上げた。今までなんとか体裁を保っていたが、とうとう支部長の感情のダムは決壊したようだった。

「聖書を学びたいのなら、それこそ修練会に参加しなさい。そこでじっくりと学べばいいのよ!」

支部長の威圧的な言葉に竦(すく)みながら、そんなことは出来るはずはない、そんな思いを心の内で噛み締めていた。

修練会に参加すれば自分の時間なんて持てるわけがない。

そんなことは判り切っていた。それに修練会とは、統一協会の教義が真理で文鮮明がメシアだということをたっぷりと注入する場なのだ。客観的な検証など出来るはずはない。

支部長はもう一度確認するように問い質したが、やはり参加は出来ないと重ねて答えるしかなかった。

それから和賀牧師の所には統一協会のいろいろな資料があって、それも見たいのだということも付け加えた。

付け加えてしまった言葉が、激情の火に油を注ぐ結果となった。

「山下さん、ワガシンヤっていう人間はね、お金のために統一協会から兄弟を引っ張り出しては奪っていく、それは恐ろしい人間なのよ。そのことをよくわかっているの!」

確かに和賀牧師とは、出会ってからほんの数日しか時間を共にしてはいない。
しかし、牧師はその言葉に嘘偽りがなく信頼できる人間だ。そのことははっきりとわかっていた。

牧師の提示する内容の一つ一つには、見過ごしに出来ない内容がたくさんあった。

こんな脅しのような中傷で迷いが生じるようなものではなかった。

僕が箱根の旅館で、会ったことのない和賀牧師のことをあれほど恐れたのも、元をたどればこんな組織の毒を深く浴びていたからではないか。

組織によって捏造された和賀真也という人間像。そのイメージは、増幅に増幅を重ね、プロパガンダの末、とんでもなく恐ろしいモンスターとして信徒たちに信じられていた。

支部長の感情を露にした姿を目の当たりにすると、まるで数日前の自分の姿と重なった。

恐ろしい人間だとか、金儲けだとか、そのような中傷は耳に虚しく響くばかりだった。

とにかく僕は牧師と実際に会ったのだ。そして言い分を訊いた。

「よくわかっているのッ!」と凄むのなら、支部長こそ牧師の何をわかっているというのか。

しかし、そんな反発を言葉には出来なかった。そんなこと出来るはずはなかった。

とうとう支部長の怒りは沸点に達し、脳天を突き抜けたらしい。

どうしても僕が応じないとみると、手のひらで二度三度畳を叩きながら横座りのままにじり寄って来た。

「山下さんの目はいつもの山下さんと違ってる」

「原理はそんなに簡単に解るものではないのよ」

「聖書は絶対のものではないの」

「必ず恵みがあるから、私を信じて修練会に出なさい」

今まで敬愛していた支部長だったが、こんな言葉を鵜呑みにするわけにはいかなかった。

私を信じて出なさい。人を威圧するような態度と命令口調には、どうしようもない違和感を覚えた。

触れると火傷しそうな激情は、支部長の顔を醜く歪めさせている。

支部はじりじりと間合いを詰めてくる。
腕を一振りすれば、平手が僕の顔面を捕らえる距離にまで達した。

いよいよ一発食らうのかもしれない。覚悟した。しかし、その一発で支部長の溜飲が下がるのなら、それはそれで構わない、と思った。

しかし支部長の側から見れば、このとき必死だったはずだ。このような威嚇行為は、僕を悪の誘惑から目覚めさせようと信じての、ギリギリの行動だったにちがいない。

あっ、くる! 
手のひらが飛んで来るッ! 

そう覚悟した瞬間だった。衝撃で躰が大きく揺れた。

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