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「忖度」について,ボールゲームで説明してみた.

最近,どうも「忖度」というもので揉めることが多いのですが,じゃあ,日本から「忖度」を無くした方がいいのかというとそれも違う気もしますし...ということで,ここでは,忖度を有効活用できないかどうかを考えてみようと思います.


要約:
・「忖度」って言葉のイメージが悪くなったのは,ここ最近のようである.
・「忖度」は,機能することもあるし,機能しないこともある.
・日本では,機能するしないに関係なく「忖度」が発生しがちのようである.
・「忖度」→「信用,信頼」と読み替えても,似たように機能するかもしれません.


【忖度】
相手の心中や考えを推し量ること.
推し量って相手に配慮すること.

忖度とは、「相手の状況をおしはかり行動すること」を表す言葉です。

意味としては,上記のようです.状況によって,ネガティブにも,ポジティブにも機能するようですね.

毎日新聞の記事によれば、1990年代には「忖度」という言葉は、脳死や臓器移植といった文脈でしばしば用いられていたが、この際もやはり患者の生前の意思を推量するというもともとの意味で使用されていた[5]。ところが、1997年夏の時点になると、毎日新聞の記事においても、小沢チルドレンが小沢一郎の意向を「忖度」するというような記述が見つかり、上位者の意向を推し量る意味合いでの「忖度」の用例が見つかった。

最近,「権力者に対してイエスマンになる」という悪いイメージとなっている「忖度」ですが,それは本来の意味ではなく,かなり「偏った忖度」であると考えられます.

では,「チームで実施するボールゲーム」で,どのように機能するのかを考えてみたいと思います.

チーム戦術における忖度

チームで戦う場面を考えます.

自チームのメンバーと考えを共有し,自チームのメンバーの行動を瞬時に忖度しなければ,協調活動は生み出されないと思われます.また,相手チームの状況,考え,行動を忖度して,それに対応しなければ,ゲームに勝利することはできません.もう,「忖度合戦」ですね(笑)

相手の忖度を利用して,こっちの忖度が上回ったりすることもありますし,その逆もあり...

自チームの忖度が相手には分からないようにしたうえで,相手チームを忖度する.

忖度で相手より上回った方が勝利に近づけそうです.忖度を「言語化」,「可視化」したものが,戦術とか,ゲームモデルとか,...と呼ばれるものなのかもしれません.

忖度は機能することもあれば,機能しないこともあります.何故だかわからないけど,阿吽の呼吸でうまくいっちゃう場合もあります.うまくいってる時はいいのですが,外から客観的にみると,明らかにおかしい戦術を使い続けて,やられ続けることもあります.これは相手のことを忖度できず,自分たち仲間内だけで忖度している状態だと思います.相手チームは,全部,こっちを忖度しまくっているので,一方的になってしまう...

「ジブンタチノ***」を連呼して惨敗するのは,この状態であると考えられますね.

忖度が機能する理由,機能しない理由を可能な限り明らかにする努力を続けないと,「忖度し続けて,みんなで一緒に火に飛び込む...(集団自殺...)」...,な~~んてことも起きるので,常に,細心の注意を払う必要がありそうです.


※日本的な例外 ーーー(ここから)ーーー
例外というか,日本では,これが普通かもしれませんが...
ボールゲームでは,通常は,

・自分 → 自チームの選手
・自分 → 相手チーム全体
・自分 → 相手チームの選手
・...

というように,いろいろな方向に忖度が発生します.忖度とは,周りに対して配慮するという意味であり,「本来の意味での忖度」が行われていると思われます.これに対し,昔ながらの日本的なトップダウンのチームでは,

・自分(選手) → 監督

の一方向の忖度であり,かなり「偏った忖度」になっていることも少なくありません.この構造では,戦えなくなりつつあるのが,現在のボールゲームの環境だと思われます.一方向の忖度では,状況判断を誤ることが多発するので戦うのは難しいですね...

この「偏った忖度」の概念,欧米では理解するのが難しいようです.
※日本的な例外 ーーー(ここまで)ーー


「忖度」という言葉は,日本固有の概念ですが,他国にも普通に存在していると思われます.例えば,MLBとかでもルールにはありませんが礼儀作法のような暗黙のルールが多数存在します.あれなどは,日本でいう「忖度」そのものだと思います.


判定(ジャッジ)における忖度

審判が判定する場面を考えてみます.

公正な(フェアな)判定が求められる審判が,誰かに(何かに)忖度するなんてことは起きてはいけないのですが,審判も人間なので,「故意でない忖度」が発生することは少なくありません.判定における忖度は,観客からのプレッシャー(ホームチームが有利になる現象,ホームタウンディシジョン)や,何らかの雰囲気で精神的にプレッシャーを受けて発生するようです.多くは面倒に巻き込まれたくないという気持ち(害から逃れたいという気持ち)から生じていそうです.精神的な利害が起因となると言ってもいいかもしれません.では,物理的な利害(例えば金銭的なもの...)が起因となり忖度した場合には,...これは,もう,ほとんど八百長に近い行為ですよね(-_-;)

では,判定に忖度が含まれる要因とはどういうものが考えられるでしょうか?

明確な判断基準が存在せず,審判の裁量のみで(極論してしまえば審判の気持ちだけで...)決定されるような環境では,「忖度」が混じりやすい.

とは言えそうです.どんなにルールを考慮したとしても,運用中に「審判の裁量に任せる」という部分は残ります.ただ,可能な限りそれを減らす努力は続けるべきです.そこをいい加減にするような競技は,遠からず,滅びると思われます.

審判も人間なので,審判の努力だけに任せていては,この問題を克服するのは不可能なのです.ルール設定,仕組みを工夫して,全体のシステムとして,忖度を抑制していく必要がありそうです.


ゲームが実施される自然環境に対する忖度

忖度とは人間に対して実施するもののようですが,自然環境に対しても忖度することを考えてみます.「自然万物に神が宿る」という概念を色濃く残す我が国であれば,むしろ,自然な考え方かもしれませんね(笑)

おそらく,自然は人間のことを忖度してくれませんので,人間が一方的に忖度する必要があります.自然に逆らっても勝てないですし(-_-;)

自然を忖度できずに,ヘンテコな状況になった実例.

※実例1
腹筋背筋を鍛えれば,ジャンプした後の滞空時間が伸びる.
→空中に浮いてしまえば,身体重心が放物運動するのみなので,ありえないです.

※実例2
水平方向に飛んでいるボールが,突然,フワッと下方に落下する.
→空中を飛んでるボールにそんな力が作用することはありえないですね.

自然の振る舞いを考える.自然の仕組みを考える.
→ これは「科学という営み」そのものですね(笑)

自然の振る舞いを忖度し,モノを作る,問題解決に活用する.
→ これは「工学という営み」そのものですね(笑)

科学的な話に人に対する忖度が入り込むと,もう,グタグタになります.そうなると似非科学にハマり込むので注意が必要ですね.ひたすら「実際に起きている現象」に対して忖度する.実現象に真摯に向き合うのが良さそうです.

まとめ

忖度は,有効に機能する場面,機能しない場面がありそうです.また,可もなく不可もない忖度もあるでしょう.ボールゲームでは,下記のように忖度を使うといいかもしれません.

・チーム戦術:
忖度の特性を把握して忖度を使いまくる.忖度が機能するように適応させ続ける.

・審判の判定:
公正な(フェアな)判定のためには忖度は排除されるべきものなので,可能な限り忖度が発生しないような「仕組み」,「ルール」を構築する努力を続ける.

・自然環境:
ひたすら冷徹に「実際に起きている現象」に対して忖度する.実現象に真摯に向き合う.

「忖度」を悪者にしても問題解決に近づけないので,忖度をどのように活用するか⁉(有効に機能させるか⁉)が重要になってきそうです.

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