逃げたい ②

消防隊員の次に入って来たのは、先ほどのお医者さんだった。

「彼のところに行きますか?」

と言われ、鼠色の壁の部屋の奥にある、部屋に連れられた。

病院の個室のような場所にストレッチャーに乗ったままの彼が横たわっている。個室の入り口にはご丁寧に彼の名札が入っている。

もう、いないのに。生きてないなら名札なんていらないのに。

ストレッチャーの上にはテレビでよく見る心拍が映し出されるモニターがあった。ゼロのまま、ただただ地平線のようにまっすぐな線が続いていた。

彼と二人きりになった。

手を握っても、冷たい。さすって、さすって、さすってみる。すると少し手が温かくなる。

このまま全身をさすったら生き返るのではないか?

そう思ったのも束の間、その場にいることが怖くなった。静かすぎる病室の外では新緑の葉がそよそよと春風に吹かれ、気持ち良さそうにしている。病院のすぐ外には公園が広がっていた。この窓から、公園に逃げようか。いや、逃げてもこの現実からは逃れられない。そんなことを考えながら居ても立っても居られなくなった。何をしても落ち着かない。

今日は金曜日だ。不思議なウイルスの時代において私たち夫婦にとって最も楽しみな一日。子供たちは夜にジュースを飲める日。私たちはいつもよりちょっと良いワインを開けて、いつもよりちょっと長い夕食を楽しむはずだった。今週も四人で一週間頑張ったね、と乾杯するはずだった。

今日、私は誰と晩酌するのだろう。

そんなどうでもいいことを考えたり何も考えられなくなったりしながら、部屋の中を、頭がおかしくなってしまったマウスのようにグルグルと回り続けた。

義理の両親にもう一度電話すると、義母が電話に出た。

「彼が、彼が死んでしまいました。。。XX病院にいます。死んじゃいました。。。」

「え、何?死んじゃったの?どういうこと?なんで?なんで?なんで死んじゃったの??」

私が聞きたい。ねぇ、なんで?なんで死んだの?

「すみません、、、」

「タクシーで向かうから。」

義母は泣きながら行った。

「はい。」


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