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【小説】Ctrl+S、がちゃちゃん、がちゃちゃん、がちゃちゃん。

 背後からロックが流れてきた。どぅっくどぅくとドラムがリズムを刻んで、ギターが思いきり歪んだ叫び声をゥワンゥワン上げる。今から十数年ぐらい前の曲になる。

「おっ、いーいねえ」

 パソコンのキーボードを叩いていた私は、その曲に乗って身体をとぅとぅとぅ、と揺らしながらCtrlキーを押さえた。そのままSキーを叩く。がちゃちゃちゃ、がちゃん。何度も何度も、何度も。ワードの文書上にあるポインターが、上書き保存やりましたよって何度も何度も私に教えてくれる。多分、ポインターはうんざりしているに違いない。

 はあ、と重たいため息が聞こえてきた。ポインターのうんざりを代弁してきたのは、背後にある私のセミダブルベッドに身体を沈み込ませていると思われる彼女だった。沈み込ませているって断言できないのは、私がパソコンの画面から一度も目を離していないためである。

「なんだよう、せっかくのロックだ、ため息なんてぶっ飛ばせ暴れろ」

 Ctrl+S、Ctrl+S、Ctrl+S、Ctrl+S、

「ねえ、いーちゃん。わたし就活でね、本命だった会社の最終面接に行くときに新幹線の中でこの曲をずうっと聴いてたんだけど」
「ふん、」

 Ctrl+S、Ctrl+S、Ctrl+S、Ctrl+S、

「あれ以来。ひっさしぶりに聴いたあ」

 Ctrl+S、Ctrl、……、……。

 身体のとぅとぅとぅをやめて、文書の作成を再開する。

 なるほど、この気持ちのいいロックは彼女にとっては苦い思い出の曲となったわけだ。

「かわいそうに」
「いーちゃん、慰めてえ」
「曲に罪はないのに……」
「曲側の人だった」

 もう、慰めてよう、なんてほわほわした甘え声で訴えてくるけれど、だってあんたが就活したのってそれこそ十数年前の話じゃないか。

「いーちゃんはないの? なんかそういう、なんか」
「なんかが多いななんか」
「だからあ、つまり……」
「わかってるよ、聞かんとしてることは。んー、そうだなあ」

 キーボードを叩く指を止める。それから視線をちょっと上にやって色々思い起こしてみる。みんな結構好きだったりいい気分になるのに、自分だけは嫌な思い出に塗りつぶされてしまって、苦い気分になる、なにか。

「……関西の某動物園とか?」
「ほう」

 彼女が興味ありげに身を起こした気配を感じながら、

「いやなんかさ、昔SNSで知り合って出会った女の子がいるんだけど」
「うんうん」
「知っての通り、私動物園が好きなのね。で、初めて会うーってなったときに『じゃあ動物園行かない?』って誘ったわけよ。なんも、なーんにも、考えずに。ただ私が動物園好きだから」
「ほほう」
「当日になりました。初めて会いました。わーっ初めましてーっあっイメージ通りだあかわいいですねーっきゃっきゃうふふ」
「うふうふ」
「で、動物園に行く。あーゾウさんがかわいいキリンさんがかわいいおサルさんがかわいいオオカミ好きぃきゃっきゃきゃっきゃ、……その辺りで、」
「おう」
「きゅって。そう、きゅって、私の服の袖を。つかんできてさ。その子」
「ほうほう」
「服が伸びるなあって。思ってさ」
「おん」
「まあ言わなかったんだけど」
「いーちゃん言うタイプなのにねえ」
「初対面だよ。一応言わないよ。そんでなんか、そこからさ。妙に距離近いよなあとか思ってなんとなーく何かを感じていたら、そのうちもんっのすごく不機嫌になっちゃってさその子、とりあえずその辺のベンチに座ることになって」
「その辺のベンチにね」
「座りました。私もその子もしばらくなんにも喋りませんでした。その末に、……えぐえぐぽええ~んと、その子泣き出しちゃったわけ」
「おおー」
「通りかかった人たちがみんな私たちをちらちら見てきてね。一体なんだって、そりゃあ気になるよね子供でもない女二人のうち片方がわりとマジでガチ泣きって。しかもここ動物園だよ、泣く要素あるか? 私だってこんな二人組見かけたら気になってチラ見するわ、っていうかまじまじ見てやるわ。……まあそれはさておき、とにかく泣くから落ち着かせようとするじゃん。そしたらさ、彼女、」
「うん、」
「わたしは覚悟をして今日ここに来たんだよ、――って」

 そう、言ってきたわけだ。涙と鼻水とよだれでぐしゃぐしゃの顔で、私をまっすぐに見つめて。これも十数年前の記憶になるのになかなか鮮明に覚えているもんだ。

「私は普っ通に友達として会ってたんだけどさ。お互いの認識がどこかのタイミングから、あるいはもう最初っから違ってたんだろうね」
「ははあ、災難だったねえ」
「ほんとにね。服は伸びるわ、人前で泣かれるわ。居た堪れない気分になって、こっちが泣きたくなっちゃって、っていうか何よりその子が怖くてたまらなくなって」
「トラウマになっとる」
「トラウマもトラウマだよ。ずーっと私おろおろしてたら、そのうち『もういいよ、帰っても』ってその子言ってきてさ」
「うん」
「言ってくれたから、私帰ったんだ」
「帰っちゃった」
「うん。ごめん、ごめん、って何度も謝って、それから帰った。だって帰ってもいいよって言ってくれたんだもん。動物園から駅まで全速力で走った」
「結構人通り多いし駅まで距離もそれなりにあるよね?」
「ぜーぜー言いながら走ったよ。よく通報されなかったと思う」
「通報されてめんどくさいことになっちゃえばよかったのに」
「やだよ」

 キーボードをまた叩き始める。がちゃがちゃがちゃ、がちゃん。がちゃちゃちゃ、がちゃあん。

 叩きながら、ふと気になった。そんな感じで私にとって某動物園は苦い思い出の場所になったわけだけど、じゃあ、彼女にとっては?

 いつの間にか、あのロックの曲はもう終わっていて、今はバラード曲がしっとりと部屋を満たしている。ある程度まとまったワードの文書にいったん区切りをつけようと、Ctrlキーを押さえながらSキーを叩いた。がちゃちゃ、がちゃちゃ、がちゃちゃ、がちゃちゃ。

「ねえ、いーちゃん、前から思ってたんだけどなんでよりによって青軸のキーボード使ってるの? いーちゃんの部屋来たらほんとうるさいよいつも。っていうか部屋の前通る一瞬でもううるさい。特にこの、今のリズム。なに、上書き保存してるの? もうできてるよやめなよう」
「あ、ほんとにポインターの代弁してたんだ」
「はい?」
「ううん、こっちの話」

 がちゃちゃん、がちゃちゃん、がちゃちゃん。

 さすがに耳と指が満足した。ので、両手を突き上げてうーんと伸びをする。

「いーちゃんあのさ」
「……うーん……?」
「そんな苦い思い出になっちゃってるんだったら、じゃあ、行く?」
「……うぁい……?」
「某動物園。行って、いい思い出に上書きすればいいじゃん。新しくさ」

 ……うぉう……。

 うぉううぉう、うぉう、……うおう……。

 突き上げていた両手をぱたりと落とした。それから眉間にしわを寄せて、私はうんうん唸る。ぐわん、ぐわん、回転椅子を左右に揺らす。当然、私の視界も左右に揺れる。

「えー。ええー? でもなあ。でもなあー。あんたさあ、」
「なによう」
「泣かない?」
「もう泣かない」

 一瞬も迷わずに、返事を寄越してきた。

「おっ……、そっか。そうかあ」
「だってあのときとは状況がまるで違うでしょうに。歳だってすんごく若かったし。ていうか怖い思いさせちゃったのは悪かったなって思うけど、あのときのわたしの気持ちもちょっとは汲んでよ意地悪」
「いや全然汲めないよ。だって今思い出しても怖いもん。……でもまあ、うーん、そしたら行くかあ。上書き」
「いえーい、上書きだあ。Ctrl+S、Ctrl+S、Ctrl+S、Ctrl+S、あんな思い出ぶっ飛ばせ暴れろう」
「やっぱあんたも上書きしたい思い出だったんだ……」
「動物園、いつにしよういーちゃん」
「そーだなあ」

 そーだなあ、と言うわりにはスケジュール帳を開くこともせずに回転椅子を左右に揺らし続ける。彼女もまた、私のベッドに沈み込んだ気配。

 なんだか面白くなって、Ctrl+S、がちゃちゃん、がちゃちゃん、がちゃちゃん。

「いーちゃんうるさあい」
「うぁーい」

 何があるかわかんないもんだね、ほんと。人生。

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