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【連載小説】はつこひ 十五話

「飯村さん。飯村さん……。お願いだから、起きてちょうだい」
 未だ何の反応もなく、柔らかな身体にすがりついたまま祈るように名前を呼び続けていた。

 あれから数時間が過ぎ、夜が来て、辺りは真っ暗になった。
 天窓から時折月明かりが差し込むが、雲が増えてきたようで厩舎の中はおおよそ闇と静けさに包まれている。

 目を閉じて浮かんでくるのは、初めて会った時から変わらない純粋な少年のままの彼の表情かおだ。
 
 きっともう、寺尾は「がらんどう」になった飯村さんの身体を回収施設に送ってしまったに違いない。合成金属製のアンドロイドは貴重な資源であって、故意に手元に置いたり、転売したりするようなことがあれば、厳しい刑罰を受けことになる。
 アンドロイドの身体はあくまでも使い捨ての「入れもの」。そういうものだと教えられてきた。

 けれど、寺尾が十年もの間、メンテナンスをしながら弟の身体を保管し続けていたのはなぜだろう。私が飯村さんの以前の顔を思い出しては、切なくなるのはなぜなのだろう。私を映したあの澄んだ青い瞳を、もう二度と見ることはできないのだろうか。
 先ほどまで触れていたのは確かに飯村さんであったはずなのに、名前を呼び続けていると「ここにいるのは誰なのか」と時々混乱した。

 うっすらと窓の外が白み始め、カラスの声が遠くで聞こえ始めた頃、外から「バン」という物音がした。
 車の扉を閉めた音だ。寺尾が戻って来たんだ!

「飯村さん、寺尾が帰って来たわ。きっと治るわ。きっと大丈夫よ……!」
 彼を抱きしめると、身体はすっかり冷たくなっていた。

 厩舎の入口が開き、足音が近づいてくる。しかし、忙しなく迫ってくる足音は複数人のようだ。
 まさか、誰かがこの身体まで回収しに来たの?
 私は急いで毛布を広げて飯村さんの姿を隠すと、その上からしっかりとしがみついた。

「お嬢様!」
 振り返ると、寺尾が立っていた。

「……寺尾!」
 寺尾の顔を見ると安心して涙腺が緩みそうになる。

「お待たせして申し訳ありません。少し手間取ってしまいました」
「寺尾……、その怪我はどうしたの? 早く手当てをしなきゃ」
 まだ視界の晴れない厩舎の中でも分かる。飯村さんの修理のために汚した寺尾のシャツは、さらに黒く汚れて袖が肘の辺りで焦げ落ちている。顔にも腕にも大きな火傷を負い、複数の傷口から血が流れた跡があった。

「こんなものは、気にするほどのものではないんです。それよりも、早く彼を助けましょう」
 寺尾はそう言うと、私を立ち上がらせてスカートについた土を手で払った。

「寺尾さん、元主記憶装置メモリーはその青年の中ですか」
 寺尾の後ろから、ひょろりと背の高いスーツ姿の大人の男が顔を見せた。眼鏡を掛けたその人は「先生」と呼ばれ、後続の白衣の二人に布に包んだ「何か」を飯村さんの隣に置くよう指示をした。

 謎の塊を床に置くと、白衣の一人が丁寧に布を開いていく。すると、上の方から金色の髪と合成金属でできた肌が現れ、やがてフランス人形のように整った美しい寝顔があらわになった。つるりと丸みを帯びた天使のような頬、美しいカールを描く長い睫毛。それは歳を重ねた大人のものであったけれど、懐かしく愛しい彼のそれにとてもよく似ていた。
 
 手を伸ばすと、後ろから寺尾に腕を掴まれて止められる。白衣の人が全ての布を取り払うと、腰の辺りで千切れた下半身のないアンドロイドの身体が現れた。

「きゃあ!」
 思わず悲鳴をあげる。

「寺尾、これはどういうこと⁉ これは、誰なの⁉」
「お嬢様、よく聞いてください。彼のエラーは、おそらく他の身体モデルに適応できないことで起こったものです。エラーを回避するには、元と同じか、同等の身体モデルが必要になります。彼の以前の身体を探しに行きましたが、回収施設では既にほとんどが処分されており……、何とか連れ帰れたのがこのアンドロイドだけでした。私だけでは回収施設へ侵入することも、これ以上の修理もかないませんので、『アンドロイド人権団体』に協力を願い出て、それで……」

「待って。この人はどう見ても三十歳はある大人の身体モデルじゃない。そんな、元の身体が必要だっていうなら、どうして飯村さんを施設に送ったの? それなら、最初から彼の身体を手放すことはなかったじゃない!」

「お嬢様。彼の身体を隠しておいたところで、必ず見つかってしまいます。『回収済』のチェックを受けなければ、私だけでなくお嬢様も罰を……」

「そんなこと分かってる! 分かっているわ!」

「蝶子さん、寺尾さんは十分に考えられていますよ。身体に負った傷を見てください。あなたは知らないかもしれないけれど、回収施設というのは名ばかりで、あそこはアンドロイドを溶かす大きな溶接炉なのです。人が近づくにはそれは危険な場所へ寺尾さんは飛び込んで行ったのですよ。あなたのため、そして、今は眠る彼のために……。私たちも彼を守りたいのです。彼の生きる権利は、私が守りますから。だから、どうか私たちを信じて」
 眼鏡の男のスーツの左襟には、金色のバッジが光っていた。

 その時、もう一人の白衣の人が飯村さんを覆う毛布に手を伸ばす。
「いや! やめて! 彼に触らないで!」
 彼に駆け寄ろうとするが、眼鏡の男にしっかりと止められてしまう。
 その間に白衣の二人が特殊な機械を取り出して、彼の側頭部に穴を開けてしまった。何が何だか分からない。本当の彼がどこにいるのか分からない。ただ目の前の景色がにじんでいくばかりだ。

「君は、何が悲しいの?」
 子どもの声だと気づいて顔を上げると、私と同じ年頃の男の子が隣に立って作業の様子を眺めていた。

「父さんも、寺尾さんも、一生懸命に彼の主記憶装置メモリーを生かそうとしているのに、君は何がそんなに悲しいの?」
 落ち着いた声色で問われると、頭に上っていた血がどこかへ落ちていく。

「だって、あんなの……、私の知っている飯村さんじゃないもの……」
「本当に? ほら、彼の指に触れてごらんよ。たった今、彼は大人の身体に入ったんだ。何が違うのか、確かめてごらんよ」
 少年に促され、こちらに放り出されている合成金属でできた右手の中指を掴んだ。

「硬くて冷たい」
 その瞬間、アンドロイドの指がぴくりと動く。
「……でも、柔らかくて、温かい」
 言葉を続けると、手のひらを上にぴんと伸びていた五本の指がだんだんと弧を描き始めた。まるで、種から芽吹いた瞬間に植物が意思を持ち始めるように、ゆっくりと、ゆっくりと指先まで力を宿していく。
「愛してる」を呟くと、彼がすぐそこにいるような気がした。

「心配しなくても、僕たちはすぐに大人になるよ」
「何で……」
 この少年の名前は、何と言っただろう。
 あの日はあんなに私のことを非難していたのに、どうしてそんなに優しい目を向けているの? 
 眼差しははっきりと分かるのに、顔をよく思い出せない。

「キュルルル……」
 主記憶装置メモリーの動く音がする。関節の太い大人の手が私の手を握り返す。

「チョ……ウ、子ちゃん。来てくれないと寂しいよ」
 彼は透明な青い瞳で私を見た。

 
 この日から、私を待ち続けたクリスマスを、彼は永遠に生きている。


(つづく)

(2956文字)


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