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【連載小説】はつこひ 第十二話

 車は街から郊外へ向かう。三時間ほどすると、コンクリートの無機質な建物の並ぶ景色から草原の広がる景色へと変わった。

 地平線はなだらかな弧を描き、さっぱりとした青空にのんびりと流れる雲が浮かんでいる。緑のそよぐ丘では牛が放牧されており、「むしゃりむしゃり」と裏葉色の草を食んでいた。

 こんな場所は初めてだ。街から出たことのない私は、外にこんな世界があるなんて今まで知らなかった。
 空はこんなにも広く、せいせいとしていたのか。鉄筋コンクリートで作られた建物同士を車で往復するばかりで、私にとってはそれが世界のほとんどだったけれど、世界はこんなにもおおらかで、大地はゆったりと横たわっていた。揺れる草も、それを揺らす風も、声を発しなくとも全てが確かに息づいている。
 映像学習では全く分からなかった感覚。いつの間にか、私の名前のつけられぬ波立った気持ちまで、自然の大きな呼吸の中に取り込まれてしまった。

 遠くの方で牛飼いらしき人影が、こちらに向かって腕を振っている。私も窓を開けて腕を振り返す。

「あの人も、アンドロイドなのね」
「ええ。この辺りには、もう人はいませんので……。街にいても私たちが食べ物を口にすることができるのは、彼らの働きのおかげですよ。それより、もうすぐ荒れた道に入りますので、窓を閉めて、しっかりとシートベルトを装着してください」

 車は農道から細い脇道へと入り、ますます悪路となった道を進んでいく。

「この先に飯村さんがいるの?」
 そう尋ねようとしたが、寺尾は口数をさらに減らし、運転に集中しているようだ。その答えを聞く準備もできておらず、黙って寺尾の背中を見守った。

 十分ほど車が薄暗い森を進んだ頃、何もなかった道に突如丸太づくりの家が現れる。
 太い丸太をくみ上げた平屋で、三角形の屋根の一番奥からは煉瓦で作られた煙突が一本飛び出していた。可愛らしい形ではあるが、経年による痛みで木材は黒く変色している。人気のない廃墟のような佇まいの家の敷地に車が侵入すると、軒に並んでいたカラスが一斉に飛び立った。

「お嬢様、到着しました」
「ぴたり」と車を停車させると、寺尾が振り返る。

「ここは、どこなの?」
「私の実家です。元々は農場を経営していましたが、今は誰も住んでいません。足元が悪いですから、気をつけて車からお降りください」
 車の扉を開け、恐る恐る足を地面に下ろすと、「ぐにゃり」と水気を含んだ泥の感触を足裏に感じた。一瞬、声を上げそうになったが必死で飲み込む。

「……お手伝いしましょうか」
「大丈夫。これくらい、一人で歩けるわ」

 寺尾の後を遅れないようについていくと、古い倉庫のような建物に辿りついた。

「ここは、厩舎きゅうしゃだった場所です。汚れていますし、臭いも残っていますから、お嬢様にはきついかもしれませんが……」
「そんなこと気にしないわ。それよりも、ここから中に入ればいいの?」
「はい。ここからは、お一人でお進みください。ただまっすぐ。まっすぐ歩いて行かれてください」

 寺尾は扉を引くと、中へ入るよう目で促す。建物内に入ると、床はコンクリートの固い感触に変わり、靴音が冷たく響いた。
 通路の左右には牛を留め置くための柵が設けられているが、他には何もない。まっすぐ続く薄暗い道の先では、天窓から注いだ光が飛び石のように白い正方形を浮かびあがらせていた。
 
「キュ……キュルル……」
 奥の突き当り、最も陰が濃くなっている辺りから物音がしたのを聞き逃さなかった。

「……誰? 誰かいるの?」
 震えた声が壁や床に反響する。発した言葉が、不安と期待を背負って自分の身体に帰ってくるのを感じた。

「……ちゃ……。……こちゃ……」
 何かを呟きながら、誰かがこっちに向かってじりじりと近づいてくる。それはやがて、天窓から注ぐ光の元へ姿を現した。

 私の目の前で長身の男が立ち止まる。見上げた先には、高校生くらいの端麗な顔立ちの青年の顔があった。肌は合成タンパク質でできており、さらりと流れる前髪は光に透けて琥珀色に輝いている。

「……あなたは、誰?」
 そう問いかけると、青年は突然目を見開き、鈍く動いていた主記憶装置メモリーを無理やり再起動させた。

「……よ、う。ちょ、チョウコちゃん、お、おはよう」
「……飯村さん‼」

 すぐに駆け寄り、彼の身体を抱きしめると、そこには温度があった。彼の身体は弾力を持ち、私の身体を優しく沈めていく。二人の触れあった胸の辺りには、やがて熱が生まれた。

「飯村さん。飯村さんは、やっぱり誰よりも温かいわ」
「チョウ、コ……ちゃんも、やわ、らかくて、あ、あたたかい……」
「いてくれて良かった……。もう飯村さんに会えないんじゃないかと思ったら、悲しくて仕方なかったわ」

 彼の背中に回した腕に力を込めると、頬に何かが「ぽつり」と触れた。


(つづく)

(1972字) 


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