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【連載小説】はつこひ 第十三話

 顔を上げると、飯村さんは両目から涙を流していた。

「……私のために泣いてくれるの?」
 彼の頬に触れて涙を拭う。
 彼の左手を取り、私の頬に添えると、私の涙も彼に捧げた。

「私たち、同じね」
「……同、じ……」
「クリスマス・イブに一緒に見た映画を覚えてる? 私、メアリーの気持ちがやっとわかった気がするの。メアリーはエイデンに愛されたかったけれど、それだけじゃなかったの。メアリーは誰よりも、エイデンのことを純粋に愛していたのよ。当たり前のことなのに、私、ちゃんと分かっていなかった。あなたから愛されたいと思うばかりで、ちゃんと愛を返せていなかった。気づくのが遅くなって、ごめんなさい」
「ぼ……ぼくが、なりたかった『オ、トナ』になれたのは、チョウコ、ちゃんがいたから。『愛してる』ということ……、を知ることができ、たのも、チョウコちゃんがいて、くれたから。……これを、見て」

 飯村さんは通路奥の陰になっている部分に向かって目から光を放射すると、ゆっくりと瞬きをしながら何枚もの写真を映し始める。
 それは、あのバス停で出会った日から毎日、彼が記録した私の顔だった。笑ったり、怒ったり、困ったり、時には寝顔まで。私自身の知らない表情がそこにはあった。

「チョウコちゃんは、いつも柔らかくて温かい。それは初めて会った時から変わらない。……ずっと愛してくれてた」

 彼がそう言い終えた時、映し出されていた写真が「ぷつり」と途絶えた。

『ビーッ! ビーッ! システムエラーです。主記憶装置メモリーに異常が発生しました。直ちに、専門業者に連絡してください。繰り返します、システムエラーです。直ちに……』

 けたたましい警告音が鳴り響く。
 彼の肩から力が抜けると、両腕がだらしなくぶら下がり、膝から崩れ落ちようとする身体がこちらに伸し掛かってきた。
 高揚していた気持ちが足元に向かって一気に滑り落ちていくのを感じたが、足を踏ん張って彼の身体がこれ以上倒れないよう胴体に腕を回し、しっかりと背中を掴む。

「寺尾! 寺尾、助けてー‼」
 喉奥から絞り出した声は、厩舎の外まで届く悲鳴にも似た声だった。むせび泣く声でも悲嘆の声でもない。これまでの私のものではないようだった。
 
 厩舎の入口の方から走る足音が近づいてくる。
「お嬢様!」
 息を切らせて駆けつけた寺尾の片手には、工具箱が握られていた。
 
「寺尾、どうしよう! 飯村さんの主記憶装置メモリーにエラーが出ているみたいなの! 早く何とかしないと、このまま壊れてしまうわ!」
「お嬢様、まずは落ち着いて。彼を床に左側を上にして寝かせてください。すぐに調べてみますので」
 寺尾の手を借りて飯村さんの身体をゆっくりと床の上に寝かせると、寺尾は工具箱から刃先の小さなナイフを取り出した。
 
 青年の左耳上辺りの髪をかき分け、皮膚に刃先を浅く入れて十センチ四方の切り込みを入れる。その瞬間、思わず目を閉じてしまったが、血液が流れることはなく皮膚の下からは同じほどの大きさの金属扉が現れた。
 金属扉の奥には、アンドロイドにとって命ともいえる主記憶装置メモリーが埋まっている。寺尾はマイナスドライバーに持ち替えると、衝撃を与えないよう扉を固定しているネジを八か所、一つ一つ丁寧に外していった。   
 全てのネジを回収し扉が開くと、それまで響き渡っていた警告音が「ぴたり」と止む。
 
「音が止んだ。もう、大丈夫なの?」
「いいえ。警告音が止んだだけで、事態は変わっていません。ここからが勝負です」
 寺尾は工具箱からいくつもの精密ドライバーが包まれた布を広げ、一番極細のものを選ぶと先端を青年の側頭部の中へと進めていった。
 
 開いた小さな扉から、き出しになった主記憶装置メモリーの一部が見える。四十年以上も前に生まれた飯村さんの内側では、細かな部品が懐中時計のように複雑に重なり合い、赤や緑色の配線がその隙間を縫うように張り巡らされていた。
 寺尾は大事な部品を傷つけぬよう、エラーを起こしている箇所を注意深く探る。集中力を高めている分いつも以上に無口だが、髪の生え際からはじわじわと汗が湧き、やがて粒となった水滴がこめかみを伝って流れていった。
 
「……これは」
 暫くして寺尾が口を開く。
 
「どうしたの? 何か見つかったの?」
「いいえ……。大したことではないのですが、外部ディスクが挿入されていて……。いつ挿入されたものか分かりませんが、どうやらうまく作動せず、そのままになっていたようです」
「ねえ、それがエラーの原因ということはない? そこが直れば、飯村さんは目を覚ますかもしれないわ」
「その可能性は低いですが……、念のため試してみましょうか。無理にディスクを外すことは危険ですから、まずは作動させられるかどうか確認してみます。ここの、接続のうまくいっていない箇所を調整して……」
 
「かちゃ」と、どこかの部品があるべき場所に戻った音がした。すると、飯村さんの身体から「ウィーン」と僅かに起動音が聞こえる。
 
「……やった。やったわ、寺尾! 飯村さんが動き始めた! 飯村さん、起きて! 私はここよ!」
 彼の身体に抱き着くと、ゆっくりと瞼が開いた。
 
「分かる? 蝶子よ! あなたに逢いたくて、ここに来たの!」
 声を掛け続けるが、応答はない。代わりに、彼の両方の瞳から柔らかい光が壁に送られると、動画が再生された。


(つづく)

(2,204文字)


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