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【連載小説】はつこひ 第四話

 飯村さんと出会ったのは、今から五十年以上も前のこと。私がまだ十三歳、中学一年生の頃だった。
 飯村さんも同じ中学一年生で、その年頃に相応する主記憶装置メモリーと身体機能維持ディスクを搭載したアンドロイドだった。

 彼は私の学校の隣の中学に通っていたが、人間とアンドロイドの学校教育目的は異なり、学生のうちにお互いを知ることなど許されないことであった。

 そう、あの日が来るまでは──。


 
 ある雨の日、傘もささずにバス停で立ち尽くしている、学ラン姿の少年型アンドロイドを見つけた。

「ちょっと、待って。車を止めて」
 声を掛けると、運転手の寺尾はすぐに道路の左脇に車を止める。
 私は車から飛び出して少年型アンドロイドの元へ向かうと、傘を差し出した。

「どうしたの? この道を通るバスは今週から廃線になったはずよ。待っていても、バスは来ないの。分かる?」
 ゆっくりと話すと、彼は顔をこちらに向ける。目の中で何かをカチャカチャと動かしてから、「そうだったんだ。知らなかった。昨日から丸一日バスを待ってしまったよ」と言葉を返した。

「ねえ、あなたの着ている制服、私の学校の隣のアンドロイド専門中学校のものだわ。私はそこまで車で来ているの。だから、一緒に学校の側までいきましょう。ね?」
 私の言葉を理解したのか、顔を少しだけ「カクン」と動かしたように見えた。何となくぼんやりしている彼の手を引いて、一緒に車に乗せた。

 近頃のアンドロイドは合成タンパク質の肌を持つものも一般的となりつつあるが、彼の身体は合成金属でできており、どうやら旧式のアンドロイドのようだ。主記憶装置メモリーやその他のシステムも処理能力が少し遅いようで、身体のどこかで「ウィーン」という音がしてから実際に動き出すまでに数秒のタイムラグがあった。

「君の手は柔らかいんだねえ。それに、温かい」
「きゃっ」

 車の後部座席に二人で並んで座っていると、彼が急に私の右手に手を重ねてきた。突然のことに驚いて、思わず短い声を上げる。

「人間の女の子に会うのは初めてなんだ。小さくて可愛い手なんだね。そんなに小さいのに、関節を器用に動かせるんだ。僕みたいに、全部の指を一緒に動かさなくても何かを掴むことができるんだね」
 さっきまでの様子が嘘のように、彼がはきはきと流暢に話し始めた。まるで、いつの間にか螺子ねじを巻かれたようだ。

「この野郎! 機械の分際でお嬢様に気安く触るな!」
 運転をしていた寺尾が急ブレーキをかけると、流行りのプロレスラーのような筋肉の盛り上がった上半身を後部座席に乗り出して、彼を叱咤する。

「寺尾、やめて。そんな大声を出さないで。私は大丈夫よ。ちゃんと力の加減はしてくれているわ」
「ですが、お嬢様……」
「本当に大丈夫。……ほら見てよ。全く悪気がないものだから、なぜ怒られたのか、主記憶装置メモリーにアクセスして理由を探し始めてしまったじゃない」

「……」
 寺尾から叱咤された彼は、目を見開いたまま口を半分開けて、そのまま固まってしまっている。瞳の部分にあるレンズだけが左右に忙しなく動き、左耳の上辺りからカチャカチャと部品を次々と入れ替える音が漏れていた。

「あーあ、せっかく楽しくおしゃべりできると思ったのに」
「申し訳ありません。お嬢様……」

 ばつが悪そうに運転する寺尾をよそに、私は未だ何かを考え続けている彼の横顔を眺めていた。

 彼のフランス人形のように整った顔立ちは、数十年前に流行った量産型のものだ。雨に濡れた金色の髪も、化学繊維のおかげでもう半分ほど乾いてしまっている。合成金属でできた頬はつるりと冷たく、対向車線を走る車のライトを反射した。

 そう。どこからどう見ても、彼はアンドロイドなのだ。

 アンドロイドの数が人口の半数に迫りつつあるとはいえ、未だアンドロイドは「人間を助けること目的としてつくられた機械」というのがおおよその人間側の理解だ。ゴミ袋を漁りに来た野良猫を追い払うように怒号を浴びせることも、時には身体を鞭で叩きつけることも、大人たちは平然と行っていた。

 彼のことを聞いてみても、きっと「器を金属で組み立て、高度なシステムを中に埋め込んだだけの、どこかの工場で作られた人間型の機械」と、誰もがそう答えるだろう。

 けれど、本当に「それだけ」なんだろうか。

「……あなたの名前は、なんていうの?」
 右手に重ねられた彼の手を握り、問いかける。

「……ボクは、イいムラ……」
 まだ彼の頭の中では金属の擦れる音が続いていたが、唇だけが微かに動いてそう答えた。

「イイムラさん。私は、蝶子。ヒノ、チョウコ」
 名前を伝えると、彼の手の指が一斉に動き出し、ゆっくりと私の手を握り返す。
 その手はただ冷たく硬さのある合成金属であるはずなのに、なぜか自然と涙が流れた。

 彼を中学校まで送り届けた次の日から、彼は毎日、あのバス停で私を待つようになった。

(つづく)

(2006文字)


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