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【連載小説】はつこひ 第八話

「そうだ。さっき蝶子ちゃんに『オトナ』と言われて僕は思い出したんだ。お母さんも、お父さんも、僕が『オトナ』になるのが楽しみだって言ってた」

 泣く人間の慰め方を知らない彼なりの気遣いなのだろう。暫く黙っていたが、「話題を逸らす」という選択をしたようだ。

「そうしたら、きっとご両親も喜んでいるわね。こんなに綺麗にお掃除ができるのだもの」
 目の前の金色の髪を優しく撫でると、彼は焦点を合わせるように青い目の奥にあるレンズを絞り、私の顔をじっと見た。

「蝶子ちゃん、もう泣き止んだ?」
「ええ。もう泣き止んだ。大丈夫よ」

 笑顔をつくって答えると、瞳の奥で「カシャ」と音がする。
 
「ねえ、蝶子ちゃん。これから二人で映画をみよう」
「映画?」
「うん。お父さんが昔見せてくれた映画だよ。本棚にディスクがあるんだ」

 彼は一番左側にある本棚へ駆け寄ると、黄色のディスクケースを一枚を選び、ケースから十センチほどの中身を取り出すと左耳の上にあるディスク挿入口へと挿し入れた。

 畳の上に二人で寄り添って、彼の両目から映し出される映画を観始める。

 それは、初めて観る、とても古い映画だった。
 制作されたのはおよそ五十年前。まだアンドロイドが今ほど身近な存在でなかった時代のものだ。
 出演者は全て人間で、画面には時々斜線のノイズが映り込んだ。飯村さんの頭の中で映像のクリア処理がなされても、長方形の小さな世界は色褪せている。

 それでも、二時間ほどの物語が終わるまで没頭できたのは、飯村さんの顔立ちに似た外国人の少年・エイデンと、その恋人の少女・メアリーが懸命に生きていたからだ。

 私たちとちょうど同じ年頃の二人は、犬猿の仲である一族にそれぞれ生まれたが、偶然に出会い、一目で恋に落ちる。彼らは関わることを咎める周りの声など聞かず、恋のために全てを捨て、命を懸けて逃避行をした。

 有名な古典文学作品をモチーフに描かれた恋物語は、終盤まで同作と似たような流れが続いたが、少女が死んだと勘違いした少年が自ら毒を含もうとした寸前、少女が目を覚まし最悪の事態を免れる。二人は心中したと見せかける遺書を残し、逃避行を手助けしてくれた謎の牧師に連れられて「永遠に子どもでいられる国」へ旅立つという、SFのような急展開を迎えて物語を終えた。

「蝶子ちゃん、映画、おもしろかった?」
 映画が終わると映像がぷつりと途切れ、飯村さんは両目から放射していた光を少しずつ窄めると、再び部屋の灯りを点けた。

「ええ。おもしろかったわ。主人公の二人が素敵ね」
「二人、僕に似てるってお父さんは言ってくれた。僕も素敵?」
「飯村さんも素敵だわ。金色の髪も透き通った青色の瞳も、エイデンみたい」
「蝶子ちゃんも、メアリーみたいに綺麗だよ」

「可愛い」とか「綺麗」とか、そんな言葉を彼が言い始めたのは、きっと最近になってこの映画から言葉を学び始めたからだ。
 飯沼さんの口から聞いた甘い言葉が、映画の中でデジャヴした。

 メアリーの真似をして彼の頬を右手で包み込む。すると、彼もエイデンと同じように私の頬に指先で触れて見つめ返してくれる。まるで、私たちはあの恋人たちのよう。
 
「ねえ、飯村さんは、私のことが好き?」
「うん。好きだよ」
「好きって、愛してるってことよ?」
「愛してる……。うん。愛してるってことだよ?」
「私が大人になっていっても、それは変わらない?」
「うん。それは変わらないよ」
「……飯村さんは、もっと大人になりたい?」
「オトナ……」
「そう。もっと大人になれる方法があるの」
「僕はオトナになりたい。蝶子ちゃん、教えて」

 頬に添えていた手を彼の瞼の上に移し、ゆっくりと撫で下ろす。長い睫毛で縁取られた瞼が再び開いてこないことを確認すると、私は目を閉じて彼の唇に顔を寄せた。

「もう、目を開けてもいいわよ」

 まっすぐ私を見つめる瞳には、真っ赤な顔をした女の顔が映っていたに違いない。
 恥ずかしくなって目を逸らすと、彼がぎゅっと私の身体を抱きしめた。

「蝶子ちゃんは、唇も温かい」
「言わないで。恥ずかしくなってきちゃったわ」
「蝶子ちゃん、こっちを見て?」
「嫌よ。どうせまた写真を撮るつもりなんでしょう? 今は顔を見られるのが恥ずかしいの」

 私がそう言うと、飯村さんは遠隔操作をして部屋の灯りを消す。

「今は、僕の目にも蝶子ちゃんの顔は見えてないよ」
「……ありがとう」
「見えなくても、蝶子ちゃんは柔らかくて、温かい。『愛してる』って、こういうことをいうんだね」
「私も愛しているわ。飯村さんは、誰よりも温かい」

 もう一度くちづけをすると、飯村さんは優しく両手を包み込んでくれた。

「お母さんとお父さんも、僕の手を握って『柔らかくて温かい』と言ってくれた。僕も今度二人に会ったら、そう言おうと思うんだ」

 暗闇の中、無邪気で明るい声がきらめく。
 再び彼の腕に抱かれると、気づかれぬように静かに涙を流した。

 ごめんなさい。飯村さん。
 私は、あなたが大人にならなくてよかったと思っている。

 映画の真似事でもいいから、その純粋な心のまま、変わらずに私を愛していてほしい。
 私を疎まずにいてくれるのは、責めずにいてくれるのは、あなただけ。
 私をちゃんと見てくれるのは、あなただけなのだ。

 この時間がずっと続きますように。
 そう祈りながら、いつの間にか眠りについていた。


(つづく)

(2182字)


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