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【連載小説】はつこひ 第三話

「あら、どうしましょう」
 カイヤさんの右手をとり小さく声を上げると、田中様がソファから立ち上がり、こちらに駆け寄ってきた。

「蝶子さん、娘に何かありましたか?」
「いえ、大したことではないのですが……。少しだけカイヤさんの肌が焼けている気がして」
「え、本当に⁉」
「本当に僅かなのですが……、ほら、手首から十センチほど下ったところ、ここですわ。他の肌に比べて、ほんの少し茶色を帯びて痛み始めているように見えるのです」

 指をさすと、田中様もカイヤさんも「分からない」という顔をして同時に首を傾げる。

「もしかすると、肉眼でないと見えないのかもしれませんわ」
「そうなのね。あなたがそう言うなら、きっとそうなのだわ。十三歳の誕生日だというのに痛み始めた腕のまま過ごすなんて、この子がかわいそう。腕を作った店に、すぐにでも文句を言いにいこうかしら」
「ママ、やめてよ。今晩はパパと一緒にレストランに行くのでしょう? その前にクレームをつけにいくなんて、それこそ私の誕生日が台無しだわ」

「……あの、もしよろしければ、私がお手入れいたしましょうか。この程度の傷みでしたら、通常のトリートメント・メンテナンスでも十分に修復は可能ですわ。十三歳のお子様用の腕のレプリカでしたらこちらに用意もありますし、カイヤさんの腕を二、三日お預かりしてお直しさせて頂くというのは、いかがでしょう」
「さすが、蝶子さんだわ。そんなことまでできるのね」
「ええ⁉ でも、レプリカになったら私の青色のネイルはどうなるの?」
 田中様は両手を合わせて喜んだが、カイヤさんは頬を膨らませて不満を知らせた。

「カイヤさん、安心してください。今日は左手と、そして、代わりに装着するレプリカの手にもネイルをいたしましょう。もちろん、お預かりする大切な右手の爪にも、お返しするまでに丁寧に色を乗せておきます。ですから、青色のネイルは本日からお楽しみいただけますよ」
「やったあ! それでこそ、私の誕生日だわ!」
「ああ、良かったわ。これで、今夜は家族で楽しい時間を過ごせるわね。本当にありがとう、蝶子さん」

 田中様もカイヤさんも、嬉しそうに同じ三日月の形をした目で笑みを浮かべている。二人の右手の中指と薬指は、リズムを刻むように何度も弾み続けた。

 夜も更け、店の灯りを消すと、店から扉一枚を経て繋がる裏側の母屋へと帰る。
 どこか温もりを感じる、大きな白地の布に包んだカイヤさんの右腕を抱えたまま、寝室へと向かった。

 襖を少しだけ開けると、畳の上の布団で眠っていた住人が微かな音に気づき目を覚ましたようだ。

「蝶子ちゃん、会いに来てくれたのかい」
「ええ。やっと会いに来られたわ」
「本当に久しぶりだね。嬉しいよ。どうか、蝶子ちゃんの手に触れさせておくれ」

 襖の隅から幼さの残る白い手を差し込むと、中にいる男が腕を伸ばしてその手を迎え入れた。

「ああ、柔らかい。なんて滑らかなんだろう。僕の大好きな蝶子ちゃんの小さくて可愛い手だ」

 部屋の中には灯りがなく中の様子をよく見ることはできないが、男は合成タンパク質でできた人工皮膚の張り付いた十三歳の少女の腕に頬を摺り寄せている。襖の隙間から差し込んだ月明かりに、涙の跡が光っていた。

「蝶子ちゃんが会いに来てくれなくて、僕は寂しかったんだ」
「ごめんなさい。お父様が外出を許してくれなかったのよ。でも、ちゃんと約束を守ってあなたに会いにきたでしょう?」
「うん、うん。そうだね。約束を守ってくれて、ありがとう」
「……もう安心したでしょう? そろそろゆっくり休みましょう。また明日、一緒に遊びましょうよ」
「うん、うん。そうだね。早く休んで元気にならなきゃ、蝶子ちゃんと遊べないものね」
「そうよ。明日、たくさん遊びましょうね」
「……蝶子ちゃん」
「なあに?」
「その声はどうしたの? 以前はもっとコロコロと可愛く笑っていた気がする」
「そうかしら。きっと、ここに来るまでに風邪を引いたのね。明日になったら、きっと治っているわ」
「そうか。それなら良かった。それじゃあ、また明日」
「また明日ね。おやすみなさい」

 そこまで話すと、男は安心したように再び目を閉じて眠りについた。
 男の手から「すうっ」と力が抜ける瞬間を見計らい、襖の隙間から腕を手繰り寄せて回収する。よく見ると肌の表面には男の指跡が赤く残り、少し凹みができていたので、すぐにカイヤさんの腕を全体的にさすって平らにならした。

 襖の向こうでは、「キュルル、キュルルル……」と主記憶装置メモリーが高速で回転している音がする。
 彼の頭の中では、少し前に話したことも、この白く柔い腕に触れたことも、今夜中には全ての記憶を消し去って、明日になれば十三歳の私と恋をしていたあの日に逆戻りしてしまう。

「飯村さん……」
 名前を呼んでみても、向こう側から返事が返ってくることはなかった。


(つづく)

(1990文字)


※修正:「記憶メモリー」を「主記憶装置(メモリー)」に修正しました。

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