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笹(ささ)山原(やまはら)の狐

これは昔話っつうよりも、「大正五年」のごどつて伝わってる話なんだげんじょも、湊村の笹山(ささやま)で十一月八日のお八日(ようか)様(さま)の御馳走(ごっつぉ※)買いに、仲間で若松(わかまつ)さ行っての帰り、日が短ぇんで強清水でとっぷり暮れっちまったんだど。んだげんじょ、腹がへったんで茶屋で一杯(いっぺえ※)飲み、名物の蕎麦(そば)ぁすすってがら帰ぇりがげだんだど。もう辺りはすっかり暗ぐなってだ。

 やがで笹山(ささやま)原(はら)に差し掛がっと、何じょしたごどが仲間の次郎衆(じろしゅう)がさがなぁ背負(しょ※)ったまま、突然すっ頓狂(とんきょう)な声出して、まるで宙(そら)飛(と)ぶみでに芦(あし)の繁(しげ)みさ駈(か)げ出したんだど。

 「何(な※)ぁしたんだ、次郎(じろう)あんつぁ」 「何(なん)だ、何(なん)だ」

ど仲間達(てえ※)が追っかげだんだげんじょ見失っちまって、なんぼ呼んでも返答(へんと※)がねんだど。

 明ぐる朝、村の達(てえ※)が鉦(かね)・太鼓鳴らして原(はら)じゅう探したんだげんじょも、何しろどごもかしこも深え繁みで見(め※)っかさんね。

 三日目んなった。この日も村の達(てえ※)が八方に手分げして探したっけど。したら、赤井川(あげえがわ※)の石橋の近ぐにあるきれいな原っぱに座ってる 次郎(じろう)あんつぁを見(め※)っけだんだど。次郎(じろう)あんつぁは、さがなの入れ物、前(めえ※)さ並べで、
 「どうがたんと上がってくなんしょ」
ど客をもてなす仕草(しぐさ)してんだど。んだげんじょ、さがなは全くねえ。
 「何だべ、狐でも憑(つ)いんでねぇべが」
 「ああ、そうに違えねぇ」
 「家さ帰ったら落ぢ着ぐべ」              
つうごどで、みんなして 次郎(じろう)あんつぁどご連(ち※)っちぇ村さ帰ったど。んだげんじょも、よっぽどきづぐ狐が憑(つ)いだど見(め※)えで次郎(じろう)あんつぁはながなが正気に戻んねぇ。そんじぇ祈祷師(きとうし)んどご呼ばって狐を除いでもらったら、ちっとずづ 次郎(じろう)あんつぁは良ぐなっていったそうだ。

 んだげんじょも、次郎衆(じろしゅう) はその後も時々、
 「何が食いっちぇ」ど聞かれっと、
 「煎り豆ど油(あぶ)揚げ(ら※)が食いっちぇ」
なんつて言っていだんだそうだ。

 次郎衆(じろしゅう) の狐憑(きつねつ)ぎがあったあど、やっぱ笹山(ささやま)の庄(しょう)あんつぁはある年、油揚(あぶら)げだどか饅頭(まんじゅう)だどが葬式の買物を荷車さ乗せ、笹山原の道さ差し掛がっと俄(にわ)がに辺りが暗ぐなったんだど。
 「おがしな、さでは狐の野郎のしわざだな」
ど気付ぎ、庄(しょう)あんつぁは車を止めでタバゴのみはじめだんだど。したら辺りが元の明るさに戻り、無事に村さ帰るごどできだんだそうだ。
 まだ、今度(こんだ※)ぁ田んぼの夜水掛げさ行った時だど。辺りが暗えのに姉さまかぶりの女(おなご※)がかがんでだのが見(め※)えだんだど。
 「夜水(よみず)掛げだな」
ど初めは庄(しょう)あんつぁは気にもとめながったそうだ。
 んだげんじょ奇態(きてえ※)なごどに、時々かがんでんのにその水口(みなくち)見っと全く手ぇつけでねぇんだど。どごの堰を止める気なのがど、その女(おなご※)のあどをつけで行ぐど、赤井(あかい)の田んぼをめぐり、森の中さ入ってったそうだ。
 明(あ)ぐる朝、その森さ行ってみっと、狐の巣ぅがあったっけど。昨夜(ゆんべ※)の女(おなご※)はやっぱ狐に違えねぇど庄(しょう)あんつぁは思ったそうだ。この女狐(めぎつね)、さすがに庄(しょう)あんつぁは手強いどみで、森さ退散したのがも知んにぇな。

 まだ、こんな話もあんだ。昭和十五年の二月中頃、若松さスキーで通勤していだ渡部(わたなべ)っつう人が、強(こわ)清水(しみず)がら一キロばっか離っちゃ一本杉に差し掛がっと、空は明りぃのに足元が急に猛吹雪になり、いづのまにが反対(はんてえ※)の方さ進んでだんだど。いっつも通い慣っちゃどごなんで、送電の鉄塔の番号を見で初めで気がつぎ戻ったそうだ。その日は実際は吹雪なのながった日なので、渡部(わたなべ)さんは「あれは狐が廻したに違えねえ」ど言っていだそうだ。 

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