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【セカンドハウス購入エッセイ第76回:残り184日】自分の能力はどこにあるのか?

僕は、意図的に家事や育児をしている部分があるということになんとなく気がついている。なぜ意図的なのかということについて改めて整理をしてみた。結論家事や育児をしないことは、ある一定以上の人たちにとって損だと思っている。


人は種として長い間進化していない。

これから話す内容の前提として、人類もしくは人間がそもそも短期間の間では動物として進化していないと言う前提を覚えておいてほしい。短期間と言うのは例えば100年や200年300年といったスパンのことだ。

皆さんもわかると思うが、例えばほとんどの人間が農村で暮らし、男性も女性も働きながら農作業や家事を行っていた数百年前と比べて、我々人類が動物の種として進化している事はないのは明らかだろう。

さらに言うなら、いわゆる進化と言うのは(とても詳しく知っているわけではないけれど)数万年かかってやっと適応していくことになる。

そうすると、西暦2000年代の今と、西暦0年頃の人類というのはほとんど変わらないと言うことだ。

ここで思い出したいのは、その当時今やっているような仕事があったのかなかったのかと言うことだ。もしくはあったとしてもどれぐらいの人口がそれに従事していただろうかと言うことだ。こんな事は明確で、明らかに今のようなホワイトワーカーの仕事というのは圧倒的に少ないはずで、多くの人はそんな仕事をしていないことになる。

という事は、その変わらない人類という種は、何に適性を持って生きているんだろう。僕はシンプルに言うと、「生きる」と言うことに適応しているはずで、それは過去のライフスタイルに依存している部分が大きいと考えている。


あなたの適性は?

ここまでくると、私が家事や育児をしている理由しかもそれが意図的である理由と言うのは比較的わかってくる。

つまり、動物として普通のことをしているだけだ、と言うこと。

もちろん仕事はしているが、家の中のことを手伝ったり、子供と遊んだり、子供の世話をしたり、もちろん昔に比べればそれさえも形は変わっているけれど、人間の力と言うのは、そういうところにむしろ能力を持っている可能性だってあると思う。

これはふんだんに、個人の価値観を含んでしまうので、誰かに何かを強要するのは私はしたくないが、個人的には、とてもロジカルに考えているつもりである。

さて、これを読んでいるあなたの「適性」はどこにあるんだろう。

これは男女問わず、一定数の割合で、ホワイトワーカー的な仕事よりも、むしろ家事や育児、もしくはブルーワーカー的な仕事に適性がある場合は(人類という種的には)大いにあると思う。

よく職業の適性は?と就職のときには考えるかもしれないが、そこにはおそらく家事や子育てと言うものが欠落している。そして家事や子育てと言うのは、人間がそもそもの適性として持っているはずである。

繰り返しになるが、逆を返せば、「いわゆるホワイトワーカー的な仕事だけに適性がある人」がいると言うことも真実だと思う。ただそれは、私が思うに割合はそんなに多くないはずだ。なぜなら、そのような仕事というのは本来人類にとって「動物としてそんなに必要ではない仕事」だったはずだからである。

さらに言うと、適性のある仕事というのは幸福感をもたらすと言うふうにも考えている。実際進化と言うのは、人がそうあるべき方向に向くように、快楽をもたらすようにできている例は枚挙に暇がない。

食欲、睡眠欲、性欲など当たり前のように存在している。

という事は、自分の適性のある仕事をしたときに人は幸せを感じてしかるべきだと思う。(もちろん具体的には、脳内物質の何が影響してるのかは私は知らない笑)

いずれにしても、幸せになるためには、自分にとって何が適正なのかということをしっかり考える必要があり、それには家事や育児など仕事以外の面についても広く考慮を巡らすべきなんだと思っている。

お金をもらうことが幸せだという狭い価値観を抜け出す必要性

一方で、特に日本の男性の場合、家事に入る時間は非常に短いと言われているが(これは私の意見ではなく数字的な事実として存在している)、日本人だけホワイトワーカーに向いていたと言う仮説があり得るのだろうか?

そもそも、今のような働き方が定着したのはあくまで戦後でありたった数十年の歴史しかない。

しかしここで、強力な価値観として出てきているのが、「お金持ちになると幸せになる」と言うものだ。

お金は、幸せになるための1つの手段でありそれは目的ではない。しかし、仕事のみに(無意識的に)邁進する人はそのことを忘れてしまってる可能性があると思う。もちろん、意識的に自分の適性を理解し、それが明らかに仕事に向いていると言うことがわかっている場合、そっちで成果を出した方が良いだろう。(私はそういう人が、会社の社長になったり、組織上上と呼ばれる立場になるんだと思っている)

しかし誰しもが、組織上、上に立つことが幸せを約束することではないことを改めて理解しなきゃいけないと思っている。そして自分の意思で選択し、自分の適性を見極め、そこで発見した適性を立派に果たすことが、最終的には自分の幸せにつながるんだと思っている。

ではでは。

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