「イカ王子」とは?宮古のエース誕生秘話
2020年秋、間もなくオープンするECサイト【三陸・宮古 港の百貨店】の仕掛け人である、宮古のエース【イカ王子】。
各種メディアも注目しているイカ王子とは、一体「何」?「誰」?なのだろうか。
今回は、イカ王子が特別に、イカ王子の言葉で、【イカ王子誕生秘話】を語ってくださいました。
ぜひ、たくさんの三陸の美味しいを創り出し届けるイカ王子の誕生秘話を、お楽しみください。
弱い自分を変える為に
何も無い地元が嫌だと言って、高校を卒業し仙台に飛び出した。
当時はレストランチェーン店も無い。
コンビニもほとんど無かった。
TVで見る店も地元に無い。
夢も希望もない。
仙台で働き出し数年経った時、共和水産(株)の代表である親から声が掛かり、しぶしぶ宮古に帰って継ぐことになった。
工場で毎日のようにイカを捌く。
イカが嫌いになった。
市場の買い付けに行き毎朝早起き。
朝がまた一段と嫌いになった。
商品の受注を受けて運送便に依頼するデリバリー業務。
もはや想いが無かった。 特に情熱もなく淡々と過ぎる毎日だった。
正直、辞めたいと何度も思った。
背中を押した3・11東日本大震災
震災の次の日に宮古魚市場や宮古市内を歩いた。
自分の生まれ育った故郷がめちゃくちゃな状態になっていた。
数日経過すると泥かきをやっている風景があった。
『俺が出来る泥かきは何だろうか?』
自分が事業継承し代表になったのも震災と同じ年だった。
ずっと自分が変わるきっかけを探していたのかもしれない。
水産のまち宮古
様々な人たちが「宮古は水産の町」だと言っている。
宿泊施設、居酒屋、飲食店。
まさに一押しは宮古で水揚げされた新鮮な海産物。
宮古には海があるから。
そう気付いたのも震災後だった。
海があるから、この町にはその海に恩恵を受けて暮らしている人がたくさんいる。
更に共和水産は消費者に近い末端加工品を作っている。
水産資源が年々減少しており、魚嫌いが進む中で共和水産が手掛けている解凍して食べるだけ、フライパンで焼くだけなどの加工品に可能性しかないことを感じた。
視野が180°変わった。
自分が宮古の水産の旗振り役になって、この町の水産を成長させたい。
基幹産業の水産業の発展が町の発展になると思ったから。
自分が出来る「泥かき」がこれだと思った。
自分自身で「イカ王子」と名乗った。 イベントでは王冠を被るのもすっかりトレードマークになった。
TV、イベント、教育現場、生産者からの依頼。
水産の枠を超えて「食」を発信し続ける。
産地でしか出来ないECサイト
そして、今回の『港の百貨店』の開店。
ここには、イカ王子自らがバイヤーとなり宮古市内水産加工会社が手掛けた商品。
こだわりの海産物など、選りすぐりの“美味しい”を集めました。
「何よりも食べることが好き」「美味しいに正直にいたい」 そんなまっすぐな想いと豊かな海で育った海産物。
港町で作ったこだわりの加工品。
更に産地を知り尽くしたイカ王子が、商品と一緒に想いを届けます。
お刺身、丼商品、生珍味、干物、漬魚など様々な水産加工品を取り揃えております。
全て宮古市内の水産加工会社で製造しております。
皆様の食卓に、港町「宮古」の”美味しい”を届けます。
ぜひ、バイヤー「イカ王子」のおススメをご堪能ください。
おわりに
イカ王子は筆者に
「王冠をかぶるのは、弱い自分とおさらばするための覚悟を決めるため」
と、あるとき語ってくださいました。
それを聞いたとき、熱いものを心に感じたのを覚えています。
大嫌いだった地元・宮古の海産物魅力に気がつき、水産加工品の可能性に胸を踊らせ、情熱をもって宮古を発信していく姿には、「商売」という彼が生きていくために必要な仕事以外の大きなエネルギー感じます。
そのイカ王子が、「宮古の美味しい」をさらに発信したいという熱い想いから、今回のECサイトは開店に向けて、着々と前進しているところです。
宮古の魅力的な水産加工品が、皆様の食卓にあがる日を楽しみにしています。
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