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創英角ポップ体と和解せよ。

※この記事は特定の宗教とは関係の無いフォントのお話の記事です。

突然だが、私はHG創英角ポップ体(以下創英角ポップ体)というフォントが憎かった。
創英角ポップ体?なにそれ?という人も、もういるのだろうか。
私の中で、許せないフォントであったHG創英角ポップ体。
見ればわかると思うので、まずはご覧いただこう。

例文は青空文庫より「人魚の姫」アンデルセン。


あー!はいはい!学校や自治体のチラシとかで見るアレね!
となったことであろう。
そう、なんでも怪しい外国の商品紹介みたいになるMSゴシックと共に並ぶは
デザインセンスの破壊神、フォント界のシヴァ神、ありとあらゆるものをダサくすると畏怖される。
それが創英角ポップ体である。
今回はそんな認識がガラッと変わったお話をしたいと思う。

私と創英角ポップ体の出会い。

それは忘れもしない、小学校の頃だった。
当時の小学校にしては珍しくパソコンの授業があり、そこでWordに触れた時である。
当時のWordには、タイトルなどの文字を装飾する機能「ワードアート」があった。
何か文字を書いてワードアートで飾ってみましょう!
先生の言葉のもと、私は様々なところをいじり出した。
そうしてフォントの一覧を眺めていた時に、出会ってしまったのである。
創英角ポップ体に…!!
そして小学生のセンス、もっと飾りたい!と思い、色はレインボー、そしてワードアートで文字をアーチ状にカーブさせた。
そう、もう、ダサいの極み、ダサいの果てへ、私は自ら進んでいったのである。
そうして出来上がったものはこんな感じだった。

許されざる者

小学生の時に作ったからと言って、このダサさはもう、もう、顔から火が出る。あえてダサく作ったわけじゃ無く、おっ!と目を引くものを取り入れていって自らここへ辿り着いたこと、私の人生の指折りの汚点である
ヤバいって。ひどいって!!!!
けれども、当時の私は、
わぁ〜なんかすんごく派手になった〜
達成感を得ていた
そして、それからも学校のプリントなどで使われている創英角ポップ体を見つけては、あ、あの目立つ文字だ〜とやたらと親近感を覚えていたのであった。

気づき、そして決別。

出会いから時間は経ち、高校生の時にその関係性に変化が現れた。
通っていた高校はどうやらPC関連に力を入れていたらしく、ここで私は初めてAdobeソフトに触れることになるのである。
イラレやフォトショに初めて触れて、私はそこで初めて気付く。
フォント…もしかしてシンプルな方が良いんじゃない?
そう気付かせてくれたのは、かつてAdobe製品に同梱されていたフォントファミリー「小塚ゴシック」である。

よく考えると小塚ゴシックも久々に見た。



当時の私からしたら
・MSゴシック以外で初めて意識したゴシック体
・MSゴシックに比べてはるかに整った形状
・初めてウェイトが数段階選べるフォントファミリー

という事もあって、一気に惚れ込んだ。
ウェイトだけでメリハリをつけてもきちんと目立つし読みやすい。
そういったことに気づかせてくれたのが、小塚ゴシックだった。
ぶっちゃけ、今見てみると小塚ゴシックは少しクセがあるな、ちょっとオーソドックスとは言えないな、と思うような書体ではある。

若干手書き感を残そうとして違和感になっている箇所が多い。
あと「な」の点の位置はよくわからない。


ただ、当時の私からしたら、デザインの幅がそれだけで広がった、劇的な出会いだったのだ。
プレゼン資料や部活紹介の文章など、何につけても小塚ゴシックを使うと、なんだかすっきりとまとまって満足した。
そうして、私は気づいてしまった。
ゴシック体だけでもメリハリがついたものが作れる。
それに比べて、創英角ポップ体の、あの、目立ちすぎるデザイン。
…なんて、なんてダサ過ぎるんだろうか!!!!


そう、フォントやデザインに興味を持った人が誰しも一度通る道、「創英角ポップ体嫌悪症」に私はかかったのである。
調べてみれば創英角ポップ体の評判は軒並み「ダサい」であり、他にも様々なフォントを知るたびに私はどんどんと「創英角ポップ体」を嫌い、そして街中で創英角ポップ体を見かけると「うわぁ…ダサい…」と思うまでになるほどだった。今思うと、私は創英角ポップ体をダサいということでデザインを分かったような気になっていたのだと思う。
創英角ポップ体の制作に携わった人々、なんなら創英角ポップ体自体に失礼だったと今ならわかる。ごめんよ、創英角ポップ体。

創英角ポップ体とのしばしの別れ、空白の日々。

そうして特にデザインの道を歩む事もなく、Officeソフトすら使わないような仕事に就いた私は「創英角ポップ体」も「小塚ゴシック」すらも見ない日々を過ごしていた。
そう、ある意味でデジタルディバイドが起きていたのである。
iPhoneユーザーの私にとって、目にするフォントはiPhone標準の「ヒラギノ角ゴシック」がほとんどになったのである。

iPhoneユーザーなら見慣れすぎた愛すべき空気感。


このヒラギノ角ゴシックは私にとっては良い意味で「空気」のようなフォントだった。
読みやすく、特に文字の形で気になる事のない、シンプルで「意識させない」フォント。正直、このフォントだったからiPhoneを続けている節がある。素晴らしく生活に馴染んだこの「ヒラギノ角ゴシック」フォントに囲まれて、私は生きていた。

そう、今まで挙げたフォントは、「スマートフォン上では普通目にしないフォント」なのである。
「創英角ポップ体」はMicrosoft Office同梱。
「小塚ゴシック」はAdobe製品同梱。

つまり小塚ゴシックはもちろん、身近なような創英角ポップ体ですら、PC、それもMicrosoft officeを使わないと一切出会わないフォント達だったのだ。
特にPCを使う事もなく、Office系のソフトはちょっと使いたいだけならGoogleのドキュメントやスプレッドシートで代用できる時代になった。
無論、仕事で使わないからといって役所や子供の学校などで「創英角ポップ体」に出会うことは多々あるだろう。
だが、役所など公共サービスもスマートフォン上でほぼ完結できる事も多くなった。
また、子供を持たない私にとっては学校も関わることはない。
目にする機会はあっても、そこまで意識する事もなくなっていった。
私と「創英角ポップ体」の関係は、しばしの空白を経ることになった。

その日、創英角ポップ体に、目を奪われた。

そんなフォントへの興味も薄れたある日のことである。
コンビニでとある張り紙を目にした。
正直内容は覚えていないが、家庭ゴミを捨てないで、とかよくある内容だったと思う。
ふーん、と思いながら読み、隣にも張り紙があることに気がつきそちらも目にした時、私は衝撃を受けた。
内容は全く、全く変わらない2枚の張り紙だったのだ。
違ったのは…もうお分かりであろう、フォントだ
最初に目に付いた張り紙が「創英角ポップ体」で、2枚目は普通のゴシック体だったのである。
その時私は、ぞくりとした。
あのダサいダサいと言っていた「創英角ポップ体」
けれど、「創英角ポップ体」だったから私は張り紙に気づいて、読んだのだ。
その証拠に、ゴシック体の方の張り紙は、最初気にも留めてなかった。そう、ただの背景のように、存在感を一切感じていなかったのだ。
悔しい…!!口ではそう言いながらも身体は正直だ。
私は、無意識のうちに「創英角ポップ体」の存在感があったからこそ、張り紙を読んだのだ…!!!!

創英角ポップ体、その生まれた意味を知る。

衝撃を受けてから、私は冷静に創英角ポップ体のことを考える日々が続いた。
お前はフォントなのだ、だから何かの役目を果たすためにデザインされたのだろう?
調べるうちに、創英角ポップ体の「生まれた意味」が分かってきた。(BGM:カルマ/BUMP OF CHICKEN)
そもそも、創英角ポップ体の「ポップ」を私は勘違いしていたのである。
創英角ポップ体は確かに丸みを帯びて目を引き、可愛げがある。だから私はポップを、ポップスだったり人気がある、とかの「ポピュラー(popular)の略語としてのポップ」と思っていたのである。
だが本当は違う。このポップとはよくスーパーなどで見かける、「お店の広告のポップ」の意だったのだ。
このポップは、Point of purchaseの略であり、まとめると「売り場に置く、購買意欲を高める広告、宣伝」という意味になる。
様々なものがある売り場で文字を読んでもらうには、やはりそれなりに目を引く、存在感が必要である。
そう、「創英角ポップ体」とは、もともと人々の目を引くために生まれた存在、いわば「フォント界のマドンナ」とも言える存在だったのである。
そう考えると、この創英角ポップ体、じっくり見てみると味わい深いものがある。
元来、手書きだったであろうスーパーなどのポップを思わせるどこか不揃いな文字の形。
太字で密度が高いのに、一度目を引いたら読ませてしまうそのデザイン。
人々はそのフォントを目の端にでも入れれば、その太さで存在に気づかされ、その手書きのような雰囲気にどこか違和感を感じて、気になって読んでしまう。
そう、「創英角ポップ体」は、商品のアピールのためという狙いに研ぎ澄まされた、まさにプロの技とも言えるフォントだったのである。
そりゃ、スーパーなどで目立つことに全振りすれば、スマートさやシンプルさは置き去りになるわけである。
創英角ポップ体は発売が1994年という事もあり、現在のフォント製作のデザイン手法から離れた不揃い感がある。現代の洗練されたフォントとは違った味わいがあるだろう。
だが、その違和感こそがこの創英角ポップ体の強みなのである。
私のコンビニの話を思い出して欲しい。
シンプルすぎたり、洗練され過ぎると、目を引かずにただの背景と化してしまうのである。
確かに不揃いであったり、手書き感が強いため、野暮ったく見えたりはするかもしれない。けれども、手軽に人々の目を引くことが出来る、という使命を懸命に果たしていることを知れば、ダサいとは言えないだろう。

創英角ポップ体は「ダサく使われた」被害者だ。

そんな狙いを持って生まれた創英角ポップ体がなぜダサいフォントとして有名になってしまったのか。そしてなぜ自分もダサいと思っていたのか。
それは、フォントがダサかったのではない。
創英角ポップ体を使うべき場面を知らずに適当に使った人間がダサかったのである。
まず普通の人はデザインをする場面が少ない。私がフォントに目覚めたのがAdobe製品付属の小塚ゴシックに出会ったから、というようにデザインに関連するものに触れなければ私もここまでフォントにこだわる人間にならなかったであろう。だから、フォントに関する知識を得ること、必要性は大抵の人は無い。
そういった人が会社や学校のWordか PowerPointを利用して何かデザインをすることになったとする。
そして、文字を目立たせたいなと思ってフォントの一覧を見るうちに、おっ、と思わせるものがある。
そう、創英角ポップ体はその人目を引く存在感ゆえに作る側にも適当に選ばれてしまうのだ。小学校の頃の私のように…。
また、Office同梱フォントの中に、太字で、かつ目を引く、いわゆるデザインフォントと呼ばれる種類のフォントが創英角ポップ体しかないのも原因だろう。
良くも悪くも目立つフォントが創英角ポップ体しかないが故に選ばれてしまい、そして元のゴシック体とは大きく様変わりしたために「なんかデザインした感」が満たされる。そうして乱用されて、本来必要のないところにまで使われてしまったのが、創英角ポップ体のダサいと呼ばれる理由なのではないだろうか。
けれども、実のところ創英角ポップ体は限りなく研ぎ澄まされた使用用途に刺さるように作られた割と上級者向けフォントなのである。
だから、使用する場面を慎重に見極めれば、大いに活用ができるはずなのだ。
そう、創英角ポップ体はダサくない。
ダサいのは、創英角ポップ体を上手に使えない、人類なのである。

私は、創英角ポップ体のことを誤解していた。
確かに、どこか野暮ったさはある。
けれどその野暮ったさが、結果として人々の注目を集めて、内容を読ませることに成功している。
どんなに洗練されてシンプルでお洒落なフォントでも、使いどころでは創英角ポップ体が勝る事もあるだろう。
並べてみて、こっちの方が創英角ポップ体よりも洗練されて綺麗だね、と思っても人の目を引くという実用性においては創英角ポップ体が強い場合は多くあるだろう。

日本デザイン振興会は、「デザイン」をこのように定義している。

あなたが商品や事業、プロジェクトを生み出した目的はなんでしたか?
その目的のための計画そのものが実は「デザイン」です。色や形、技術や機能は、その目的を実現するための手段のひとつです。
公益財団法人日本デザイン振興会ホームページより

つまり、デザインとはなんらかの目的を達成するためのものである。
そうして、目的が「人の注意を惹きつける実用性」にある時、下手に自己満足で綺麗なフォントを使うよりも創英角ポップ体をドンと置いた方が、目的を達成する…つまり「デザインとして成功」していることが多いかもしれない。
創英角ポップ体に石を投げるのであれば、創英角ポップ体よりも人の注目を得るためのデザインを作り出せる者が石を投げるべきなのだ。
(何度も言いますが特に宗教と関係ありません)

スマートフォン時代、それは創英角ポップ体の黄昏。

かつてダサいと思っていた創英角ポップ体、それは、人の目を引く目的のために生まれてきたプロのフォントであった、と私は思う。
だがその反面、創英角ポップ体を憂う気持ちもある。
前述の通り、スマートフォン上では創英角ポップ体を取り扱う場面がほとんど無いためである。
最近のニュースを見ると、大学の論文などもタブレットやスマートフォンで書き終え、PCに触れる機会が少ない若者も多いと聞く。
そしてスマートフォンでデザインができるアプリには現代の洗練されたポップ体がいくつもある。フォントについてこだわりのある人も多くなったかもしれない。
それに、太字のフォントも「メイリオ」や「游ゴシック」と選択肢が増えてきた。

メイリオと游ゴシック。文字密度としてはメイリオに軍配か。


そう、今後の若者は「PCを使う機会が減り」「Officeに触れたとしても創英角ポップ体を選ばない」可能性が大いにある。

1994年に生まれたフォントである。デザインとしても、データとしても、移り変わる時代の中でかなりの長生きだったと言えるだろう。
デジタルデザインとしては御高齢なのである。
またユニバーサルデザインの流れを汲み、フォントも可読性が重視される事が多くなった。
Office同梱フォントのポップ体が新調されて、創英角ポップ体に会えなくなる日も、もしかしたらそう遠くはないかも知れない。
(いや、でも、日本のPCへの意識の低さを見るにOfficeどころかOSすらアップデートせずにスタンドアローンで生き延びていく可能性が高いような気もしているがそんなことはないと思いたい)

結び : 創英角ポップ体よ永遠に。

創英角ポップ体。
結局、ダサいと言っていた時もあったけれど、幼い自分を惹きつけるだけの力を持っていたフォントであった。
それに、フォントの違いというものをわかりやすく感じさせて、「デザインをする」ということを初めて教えてくれたフォントと言えるかもしれない。
そして大人になって、ここまで論じるほどの存在感があった。

創英角ポップ体、君は、すごいフォントだった。
ぶっちゃけ、今私が何かデザインするとして創英角ポップ体を使うほど目を惹きたい状況が無いから、創英角ポップ体の出番はもう無いかもしれないけどさ。
けど、何にも知らずにダサいと言っていたこと、許してくれると、嬉しいな…。
願わくば、君のことを「まいばすけっと」でしか見れない、なんて時代が来ないといいな…。

そんなわけで長々と話してきましたが、
「創英角ポップ体ってなんかダサい」となんとなく思っていたそこのあなた!!(思ってなかったらごめんなさい)
今回のこの記事を見て、ダサいフォント、から
1994年から人々の目を惹き続けたフォント界屈指のスター
と、認識を改めてみませんか!?
(使うか使わないかはさておき…)

さあ、あなたも、

(本当に特に宗教とは関係ありません)



今回のオチ。このこだわりはまた別の機会に。

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