彼は今も科学的に幸福を追究しているのだろうか。

幸福の科学、教祖である大川隆法が亡くなった。
不可思議な模様の布を、スーツの上に羽織った厳めしい装いと、どこか柔らかい顔立ちがどうにもちぐはぐなように見えたあの教祖。

その訃報を聞いて、私はかつて友人と呼んでいた誰かのことを思い出した。
あの教祖の顔を、スマートフォンで一緒に見て紹介してきた、彼のこと。
聡明だった、優しかった、そして脆かった、彼のことを。

というわけで、昔の友人との思い出話をひとつここに書き記したい。

私自身は、宗教というものに心の拠り所を探したことはあったが、結果として私は神々を心の支えにすることができなかった。
なので、「宗教を色々見てきたけど結局ハマれなかった人の戯言」と思って、昔話に付き合っていただきたい。
幸福の科学についても、これから語るかつての友人の話以上の知識はネットで補うくらいしか知らないので、ご了承いただきたい。

彼は、高校時代の友人であり、演劇のワークショップを通じて出会った同学年の他校の生徒の1人だった。
初めて会った時の印象は、お調子者なムードメーカー。
いつもギャグなどを軽快に飛ばし、滑ろうとも周りの注目を集め続ける。
目立つことは、私も不得手ではないがそこまで笑いをとりに行く姿に、舞台を志すものとして憧れるようにみていた。
そうして、舞台というひとつのプロジェクトをグループで進めていけば、否が応でもコミュニケーションを取る。話をする、知っていく。
そうして舞台以外の時でも連絡を取るような友人という位置にやってきたのが彼だった。

今にして思えば、アダルトチルドレンの要素があったのかもしれないとふと思う。家庭環境が複雑な子供は、その周りの空気を感じ取り、笑わせたりすることで仲裁を図ろうとするタイプがいるという。
まさに、という感じで、彼の家庭はどうも不安定だった。
どの立場からものを言うのか分からないが、知れば知るほど、彼はどうにも不憫だった。
私も親の仲が悪かったが離婚をサラリとしたから、ショックは短期間で済んだ。
けれども、彼の家庭はこじれながらも離れずに常に刺々しい空気の中で、家族であり続けていた。
その中に常に居るしかない子供とは、どのような気持ちだろうか。

私は、ポツリとかわいそうだと漏らした。
その時に、彼はニコニコと話していたのがウソのようにボロボロと泣き出した。
彼は、自分が可哀想だと誰かに言われたかったのだろう。正確には、自分は助けられるべき存在なのだと知ってもらいたかった、というべきか。
SOSを出せずに、笑顔で全てを乗り越えてきた彼の仮面を、外してあげられたのが私だった。
そうして笑顔の裏の脆さを知りながらも、彼のパフォーマンスはやはり私にとっては憧れで、妙に私たちはお互いにズレた点をお互いに気に入って一緒にいた。

私は、由来の残酷さを知りながらも、舞台で輝く彼に憧れた。
彼は、輝きに隠した、「助けて」という言えなかった言葉を察してくれる誰かを求めた。

どちらも、たまたま、そこにいただけ。
ただうっかり、合致していただけ。
友人というより、利害関係の一致という言葉の方が正しかったのかもしれない。

そうして、演劇部の舞台のワークショップが終わり、高校生の間は常にべったりと他校なのに合っていた私たちであったが、私が大学に入学し、彼が家から遠く離れた地に一人暮らしをすることになって、私達は離れ離れになった。

さて、ここからはよくある話なのでもうあなたが思い浮かんだ筋書きで大丈夫です。

数年ぶりの久々に会う友人。
元気だったろうか?顔色は大丈夫だろうか?
不安になりながらも待ち合わせ場所に行くと、昔よりも、より快活に笑いかける彼の姿がある。
私はホッとする。どうやら彼は元気だったようだ。
そうして、お茶でも、とお店に入る。
そのお店の中で、彼が元気な理由が語られる。
それが、幸福の科学だった。


ニコニコと笑って、スマートフォンでホームページなどを送ってくれる彼の姿を見たらさ、何にも言えないよ。
悔しいよな。私には引き出せなかった笑顔が、宗教によって表れるんだから。
けれど、確かに私は救えはしなかった。
ただ、苦しみを聞いてあげるしか、できない子供だった。
それに、同じ歳の彼だって、子供だったのだ。
そうして、家族から逃げるように遠い見知らぬ地で何もかもをやり直そうとした時に、心細さが無かったとは言えないだろう。
子供の頃からの弱さと、1人になった孤独感。
全てを埋めて、そして肯定して、救ってしまう存在に、彼は出会ってしまったのだ。
ただ聞くだけの私よりも、より能動的に彼に「幸福の在り方」を教える存在に。

私はニコニコと話を聞いて、幸せなら良かったねというしかなかった。当時の私もまだ知識がない学生だったから、勧誘を曖昧にぼかして逃げつつ、笑って彼の幸福な日々の話を聞いていた。


それから、彼とは連絡が少しずつ薄れて、消えて今に至る。
ああ、会員活動とかあるのかなぁとか思ってたのだけれど、冷静に考えると、彼は私よりも宗教を選んだ、というだけだろう。

彼は、ずっと孤独で、家庭の中では虚勢を張るしかなかった可哀想な子供だった。
つまり、「どのような状況が幸福と言えるのか?」という、幸福の定義が曖昧で、常に辛そうにしていた。
そこに、これこそが幸福です!とわかりやすい幸福の定義が出されて、そしてその幸福へとあなたも一緒にいきましょう!と言われたら、彼はどうなるだろうか。
少なくとも、高校時代までの彼を知る私は、想像がついた。


あの再会の日の帰り道で、人に怒ったり憎んだりすることの少ない私が珍しく腹を立てていた。
自分の力の無さが、悔しくて悔しくて、でも彼は幸せで、でも幸せの形なんてもっと他にもあるんじゃないかって言いたかったけど、何も言えなかった自分にも腹が立って、もう目まぐるしく心がぐるぐるとしながら帰った。

私がもし、もっと彼の心に寄り添えていたらどうなっていただろうか?
私がもし、どうせならルームシェアする?なんて大学入学の時に誘えてたらどうなってただろうか?

たらればしか考えられない自分が嫌になって、
結局のところどうしようもなかったのだと言い聞かせるしかない話になってしまったので、私はこの話を今日まで眠らせてきた。


彼を導いていたであろう救世主は、亡くなった。
今頃彼はどうしているであろうか。
彼らの同志と共に、肩を組むようにしてこれからも信じるものに突き進んでいくのだろうか。
もしくは、嘆き悲しんでいたりするのだろうか。

それともとっくの昔に、もう別の幸せを見つけているだろうか。

結局のところ、私は彼のことを大切に思いながらも、救えるまでの力が無いのは今なら十分に理解している。

だからこそ、今回の訃報を機に、彼には届かないであろうこの場を使って、密やかに、でも心の中では絶叫するようにして、尋ねてみたいのである。


ねえ、今君は、幸せ?


答えが返ってこないほど遠くなった過去の話はこれでおしまい。

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