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「人間に生きる目的なんてない派」の僕が、ネトゲにハマることの(非)合理性について語ってみる。

 最近、とあるネトゲにハマっている。『メイプルストーリー』だ。

ドスパラより)

 ちなみに、僕が「メイプルストーリーにハマってるんだ〜」と言うと、世界の人たちは示し合わせたかのように次のどれかを言ってくる。

①「まだサービス終了してなかったの!?」
 勝手に殺すな。
 すでに死んでるみたいなとこあるけど。

②「古くない!?」
 お前よりは古くない。
 2003年生まれだ。ピッチピチの16歳だぞ。高校生だ、高校生。
 つまり可能性の塊ってことだ。

③「昔流行っていたね」
 それはそう。

 閑話休題。


自己紹介/思想の露出狂

 僕はおおむね唯物論者であり、「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」という言に大いに賛同する。

 ひらたく言えば、結局のところ人間は精密な機械でしかなく、僕たちが「生きる意味」と思ったりするものは幻想である(と思っている)。

 たとえば、精子と卵子が結合すればたしかに「子孫」(あるいは自分のDNAの部分的コピー)は生まれる。しかし、だからといって「我々の生きる目的は子孫を残すことなんだ」とはならない。精子と卵子のどこにもそんな「目的」は書かれていない(書かれていたらごめんなさい)。

 物体にはただ機能があり、「目的」は人間がこっそり持ってくるにすぎない。

「待って? これメイプルストーリーと関係なくない?」

 そう思ったあなたは、聡明だ。ぶっちゃけ関係ない。

 けど、関係あるのだ。

無から有を作り出すこと

 ただの物体である精子と卵子(コイツ生殖細胞大好きか)からいきなり「目的」とかを作り出せちゃう人間はある意味すごい。なぜなら、「無」から「有」を引き出しているのだから。

 このうさんくさい錬金術は、僕たちの日常にゴロゴロ転がっている。

 ただの肢体の動きを、「ダンス」と名付けて楽しむ。
 ただの音波を、「音楽」と。
 ただの文字列を、「小説」や「エッセイ」と。
 ただのインクの染みを、「漫画」や「絵」と。

 この「ゼロ→イチ」のすごいところは、単なる「事実」に対して「解釈」(面白さとか楽しさとか)を与えている点だ。

 荒涼とした事実の宇宙に、人は星を見出すのだ。

僕たちは「無」では生きられないから

 宇宙飛行士が宇宙服なしでは宇宙空間にいられないように(あ、コイツこの比喩気に入ったな)、何かしらの有意味なくして人は「事実の宇宙」を生きていけないんじゃないだろうか。

 だから、人は真空に「宇宙服」を見出す。

 そしてその営為を、僕たちは「文化」と呼ぶ。

ネトゲの(非)合理性

 ここまでの議論を雑に整理してみる。

 一段階突き詰めて考えてみると、「人間には生きる目的などない」という見解にたどり着く。しかし、もうすこし詰めて考えてみると、「人間は目的なくして生きられない」という事実に直面する。だから、僕たちは「目的」を捏造しなければならない。その捏造こそ、「文化」かもしれない。

 このように考えてみると、ネトゲは人間が生きる上で極めて(非)合理的なものだと思う(やっとつながった!!!)。

 レベルという数字。
 クエストというタスク。

 ネトゲは、何もないところから僕たちの生に意味を与えてくれる。

 だからこそ、僕はメイプルストーリーに邁進するのだ。

 レベルを200くらいに上げて……。
 デイリークエストをこなして……。
 火力をできる範囲で上げて……。

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