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てるてる坊主と雨乞い

小さい頃から雨が好きだった。

雨が降ると部屋の窓に顔を近づけてただぼーっと外を眺める。
そして窓を少しだけ開けて外の冷やっとした空気を感じながらサーッとか、シトシトとか、ポツポツとか、何かに当たって弾いたパンとか、そういう音を聞くのが何とも心地良かった。
側から見れば変わった子どもだったと思う。
当時その自覚があったか無かったかは覚えていない。ただ、子どもなりに人前ではしないように気を遣っていた気はする。もし堂々と人前で雨を凝視していたのなら、子どもの頃の楽し思い出が多少なりとも減っていたかもしれない。

そして今朝もカーポートに雨が弾く音で目覚める。

(うわっ、雨か…)
(だるっ)
(なんか頭痛いと思ったらこれか)

開いたスマホのSNSには雨に対する否定的な言葉が並んでいる。
そんなコメントを横目に、平穏な1日が送れそうな気分になる私。
こんなことを言ったら非難轟々白い目で見られるのは分かっている。それでも私は雨が嫌いになれない。

一般的な意見ではないことは自分でも承知している。
もちろん私だって全てを肯定的にみている訳ではない。
移動すれば濡れるし、洗濯物は乾かないし、多少の身体の変化等々、受け入れ難い部分ももちろんある。
子どもの頃は、雨が好きと言いつつ子どもあるあるの水溜りにわざと入ってバシャバシャしたりだとか、傘をひっくり返してわざと濡れたりなどは苦手だったし、むしろ花火大会や遠足の日には雨が降らないようにてるてる坊主を作ったりもした。
盛大に矛盾していることは自覚している。

ただ…何というか、無機質に降る雨粒を眺めていると、自分の中にある整理しきれないもの、混沌とした感情などが一緒に流されていく気がするのだ。そしてまるでそれらが浄化されていくように、穏やかな気持ちになってくる。上手く表現できないのがもどかしいのだが、よく焚き火の火を眺めていると落ち着くっていうアレと一緒なんだと勝手に思っている。

誰しも経験があると思う。晴天の日はあれもしてこれもして…いや、しておかないと!となぜか張り切ろうとする。
周囲を見ればみんな忙しなく動いていて自分も取り残されないように頑張らないと、と無理をしてしまう。少し無理をしてでもやらないといけないのではと考えてしまう。元来怠け者の私はそのプレッシャーに耐えられないのだ。
それが雨を眺めていると、まあ雨なんだしぼちぼちでいいっか。無理は禁物だよね、と自分にブレーキをかけても許されると思えてくる。紫陽花の葉の上を歩くカタツムリなんかを見つけた日には尚更だ。ゆっくりでいいよね、マイペースマイペース。

勿論、雨を見て心が落ち着くんだ…なんて言ったら、いい気分がしない人たちがいるってことも分かっている。
昨今の雨の降り方は尋常じゃない。50年に一度の〜なんていう言葉が毎年のように更新され、災害が至る所で起きている。
そんな大雨の被害で家や大切な人を失った人もたくさんいる。そんな人たちからすれば
(大雨の被害に遭ったことないからだ)
(豪雨災害の怖さを知らないんだね)
と思われるだろう。

そんなことはない。
私は大雨の被害で祖父を亡くしている。

私が高校一年の時、梅雨明け宣言が発表される前日のことだった。

梅雨末期特有の激しい雨が数日間続いていた。
ただ今まで洪水被害に遭ったことなんてないし、まさか家がもう少しで床上浸水になるなんて誰も想像していなかった。道路を挟んだ向こう側にある小川は私の部屋からよく見えていたが、決して氾濫しそうな感じではなかった。

高校生の私はその日、夢の片隅で救急車のサイレンの音を聞いた。それははっきりと覚えている。
目覚めると家の周囲の状況が一変していた。家の裏山から流れる濁流が川のように庭を通って家の前の道路へと流れている。部屋から見える小川は氾濫していなかったが、裏山から流れてくる濁流を、家の後ろを通っている小さな小さな沢が処理しきれていなかった。そこから水が溢れたのだ。

母から聞かされたのは、私が起きる前はもっと水が酷かったということ、私以外の家族は、二つ上の兄も含め総出で畳を上げたり、庭の水が家の中に入らないように濁流の中で作業したこと、そしてその作業中に祖父が濁流の中で倒れたことだった。
父がくたくたと膝から崩れていった祖父を濁流の中から引き上げ蘇生措置をした。その後救急車が来たが道路に溢れる濁流で家の近くまでなかなか辿り着けなかったらしい。
私が夢の片隅で聞いたサイレンはこれだったのだ。

家族は誰も病院に運ばれていく祖父に付き添うことができなかった。それくら家の状況が大変だったのだ。
暫くして、病院に行った叔母から連絡があった。
祖父は亡くなった。

大病もすることなく昨日まで元気にしていた祖父が急に亡くなってしまった。
70年以上この地に住んできた祖父にとっても家が濁流に飲み込まれそうになっているのを見るのは初めてだった。心身ともに相当なショックを受けたのだろう。

次第に雨も止み、山から流れ出る濁流も収まった。家の周りを包んでいた泥水がみるみるうちに引いていく。
家の中では祖父が亡くなった悲しみと、濁流が去った後の惨状とで重い空気が流れていたのを覚えている。
私は自室に戻って呆然とした。今まで数々の神頼みをしてきたがその時初めて(神様っていないんだな)と思った。
そして次の日梅雨が明けた。
昨日からは信じられない憎らしいほどの晴天と暑さだった。

それからすぐに、家の後ろにあった小さな小さな沢はコンクリートで整備された立派な側溝になった。
それからはその側溝から水が溢れ出すことはなくなったが、大雨が降るたび家族は心もとなかった。
ある時私が、あまりにも不安がる家族に対して、
「大丈夫だって」
と軽い口調で言ったら、いつも肝が据わっている祖母が
「人が一人亡くなってるんだでぇ」
と少し強めの口調で言ったのが今でも忘れられない。
それくらいあの豪雨の出来事は我が家にとって重く暗い思い出となった。


「今日は雨が降るかもしれないから傘を持って行ってよー」

学校に出かける子どもたちに声をかける。
実家を襲った豪雨から何年も経ち、今では子どもを見送る母親になった私。
子どもの行事に天気予報は欠かせない。
(もうすぐ運動会かあ、晴れるといいなあ。久しぶりにてるてる坊主でも作ろうかな)

降り出した雨がアスファルトに模様を描き出した。
またこの季節がやってきた。
あれから何年も経ち実家を離れていてもあの豪雨は記憶から消されることはない。
窓ガラスをつたって流れる雨粒を見ながら窓を少し開けてみる。
冷んやりとした空気と共に、アスファルトが濡れる独特の匂いが部屋の中に入ってきた。
ああ、やっぱり落ち着くのだ。
灰色の空から落ちてくる雨粒を見ていると、消えない記憶さえもいつか雨粒が流してくれるかもしれないと思ってしまう。

やはり、盛大に矛盾している。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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