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ようやく見えて来た、あの時の、あの人の気持ち。だから今こそ・・・

育児をしていると、何度も自分の幼い頃を思い出す。



幼い頃の思い出を懐かしむこともあれば、当時の社会環境や、どんな友達がいたか、幼稚園でどんなことをしていたか等様々だ。


そして、最近ふと考えることと言えば、子供が体調を崩した時の親の気持ちだ。


子育をする中で大変な時は多くかるが、中でも子供が体調を崩した時の大変さは群を抜く。第一に、子供がどうなるか心配。そして、一日中看病をするため疲れる。さらに、体調不良時は、だいたい夜中に起きるので、寝不足になる。早く大きくなり、体調を崩す頻度が少なくならないかと思うことも少なくない。


この時、「私が小さい時も、親はこんなふうな思いをしていたのかな」と、ふと思うのだ。自分も体調不良で苦しかっただろうけど、親もどれだけ不安だったか。風邪の時はまだしも、子どもの手術・入院となった時(中高時代に2度ほど経験したことがある)の苦しさと言ったら計り知れない。


最近、息子が喘息傾向にあり、神経を使っているのだが、そんな時、そう言えば小学校のクラスにいた、喘息やアトピー持ちで、身体が弱かったあの子もこんなふうに辛く、不安な気持ちだったのかな?親も同じく不安だったのかな?と考えることもある。


親になり実体験をし、ようやく見えてくる、あの頃のあの人の気持ちというものが、私の心の中にいくつか浮かんでくるようになったのだ。


反対に、親になり感じる大変な経験というものについては、他の人から簡単に「そうだよね、わかるよ、じゃぁこうしたら?」と言われたくないという気持ちも浮かぶ事がある。



要は、その人の「気持ち」というものは、同じ環境、同じ性格、同じ時代に生活していなければ、つまり、その人にしかわかり得ないものなのだ。



もちろん、人の気持ちを想像する、察することはとても大切。少しでもその人の気持ちに寄り添うことができるから。けれど、「完全に解る」ということは無いのではと思う。


だから、最近私も「その人」の気持ちを、「解ろうとする」ことはやめている。ただ、こんな感じかな?こんなふうに思うのかな?と想像して、自分の中に留めているのだ。


なんだか極端な考えかたかもしれないが、なんだかその方が、人との付き合いも上手くいく気がするのだ。


到底人の気持ちは解らないし、私の気持ちも解ってもらうのは難しい。


そう思うと、じゃぁ、どうするか?という領域に踏み込めるのだ。



育児をする中である例が、夫婦の育児と仕事への向き合い方だ。この例はら我が家のことで、よくありがちだと思うが、妻は夜はワンオペ、夫は長時間労働で忙しいという場合。


私はワンオペで、3人の子供を見ており、なんでこんなに大変なのに、仕事を減らして家庭時間を増やしてくれないのか?と思うことが多々あった。話し合うことも多くあるのだが、結局、夫の帰りは遅いことが多い。


夫に対しては子供3人をワンオペで寝かしつけまでやってみてほしいなどと何度も言って来ており、私の気持ちを理解してほしいと考えていた。


けれど、どれだけ夫がワンオペやったところで、私と同じ性格や境遇にならないと、私の気持ちを理解してもらうのは難しいのだ。


反対に、きっともっと子供と時間を共にしたいと思っているであろうが、長時間労働をなかなか避けられない夫の気持ちを理解するのは難しいだろう。


だから、やはり、簡単に人の気持ちを理解しよう、自分の気持ちを理解してもらおうという心はそっと心の片隅にしまう方が良いのでは無いかと思う。


人の気持ちを理解し切ることはできないし、自分の気持ちを理解してもらうのも難しい。


だから、その分、自分ともっと向き合い、なぜそう思うのか?どうしたいのか?何ができるのかに時間をかける方が、より早く心地良さに出会える気がするのだ。


子供を産んで、経験が増え、考え、ようやく出会えた考え方だと思う。今まで、想像すれば人の気持ちがなんとなく見えていた気でいたが、到底そんなことはなかった。


だから今こそ、その時々で必要な距離感を保ちながら人と向き合っていきたいし、もっともっと自分と向き合うことも大切にしていきたい。


Mina🌱

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